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旅をつくる1枚の写真。

 川の水が秋の空ほどに澄み渡る仁淀川によどがわに小舟で浮かぶと、水深のある川底まで落ちていきそうで怖い。ひらひら揺れる小舟から見下ろせば、大型バスほどの巨石が沈んでいて、影から怪魚が現れそう。想像の怪魚が現実に這い出てきたら、さながら山版ジョーズであったろう。貞子ならそのあり得ない展開に身の毛を内側からよだたせたところだが、巨大怪魚なら圧倒的迫力で全身全霊を傾けた金切りの悲鳴を身の毛が発狂するように発するに違いあるまい。なにしろ巨大怪魚である。ヤツからすれば、小舟の上の人など絶好の餌としか目に映らない。猫に弄ばれるネズミのように、体当たりほどの大げさじゃなくったって小舟はけんもほろろに断ち切られ、火中の栗ならぬ川中の人をなんの躊躇いもなく、リスクを考えることもなく、慎重に出方を伺うこともなく、本能に「食え」と唆されるまま、鰭の指先、爪先で人間を弄りながら、しまいにゃパクリと人の身、ひと飲み、人呑み、とする。
 スマホがいくら大画面化したところで、所詮は6.2インチの手のひらサイズ。比して仁淀川は人などひと飲みにいたす巨大怪魚をゆうに飼える特大サイズの大自然。岩陰に、流れの源流に、透き通る水に同化したりもしながら、虎視眈々と喰らうその瞬間を見据える怪が潜んでいても不思議じゃない。
 仁淀川を前にしたら、小舟で浮かんではいけないと直感が助言した。だがタイミングが違っている。遅すぎた。仁淀川にはもう小舟で浮かんでいて、迫り来る巨大怪魚の大口が、痒いところに手が届かないすぐそこの背中ほどのところまで迫っている。
 
 11インチのタブレットで寝転びながら仁淀川の写真に見入っていたらはじまった空想の物語。よもや巨大海魚など現実に遭遇することはあるまい。今度の三連休、行ってみるか、高知。

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