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諦めが悪くてね。

「だめだよ。どんなリールを使っても時間は巻き戻せないんだよ」と赤男が嗜めた。流れゆく時間はテグスみたいで一見たぐり寄せられそうに見えるけれど、蜘蛛が紡いだ糸を体内に収納し直せないのと同じで、いったん流れ出た糸は手の届かない底に落ちて積もるだけだ。
「不可逆という定義は時間のためにあるのさ」、赤男は視線のタガを外し、呆れ顔から呆れ声のため息をほっと吐き出した。吐き出されたため息は躊躇するように宙に漂い赤男の顔色をうかがったけれども、赤男の意に介さぬ表情に、捨てられた子のように縋りは叶わぬことを悟り諦めを覚悟して、顔と息を落として地に沈んでいった。

「キミの言うとおりだ。時間は巻き戻せない」青男は沈みゆくため息をすんでのところで受け止め、慈しみの体温で冷めゆくため息に生の体温を与えた。
「ボクがなぜ抗うか知っているかい?」いちどは息を止めたため息の心音が青男の手のひらの上でひとつ打ったような音がした。
「物事は一筋縄ではいかないことを知っているからさ」
 馬鹿な。赤男は侮蔑の色合いを口角に滲ませて、青男を蔑む。
 
 一筋縄でいかぬのは、期待値に届かぬよう絡め取りの投網が縦横に張り巡らされているからだ。そのことを青男は知っていると言う。なのになぜ? 懸念が赤男の意思に爪を立てたが、鼻で笑って不穏な火種を吹き消した。
 青男は怯まなかった。そして続けた。「一筋縄でいかないのは、物事の進展に制動をかけるばかりじゃなかったのさ。時間の流れの歯止めにもなる。あくまでも意識下で起こる変異みたいなものなのだけれどもね」
「言っていることが理解できないんだが」赤男が顔をしかめて食いついてきた。
「時間は巻き戻せないが、人生は巻き返せるだろう? 終わった時間でも、やり遂げたかった過去を未来にコピペすることで、終わった時間の目盛りを移植できるということさ。さっきも言ったとおり、あくまでも意識下で起こるすり合わせの結晶なのだけれども」
 
 希望ってやつを説こうとしているのか。赤男は顰めた顔の深い皺を険しくして見せたけれども、細めた目の先に確かに見えたのだった。青男の手のひらで息を吹き返した死んだはずのため息が安堵のため息を吐き出す姿を。

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