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甘噛みの嘘をつく女。

 彼女はよく甘噛みのような嘘をつく。彼女といってもガールフレンドではなく三人称の彼女なので、僕は彼女の深いところまでは知らない。それでもこれまでの経験値が、彼女の嘘を直感的に感じ取る。
 彼女のつく嘘には傾向があって、世間体が絡みつくことで発現する。現存社会で彼女が不利な状況に貶められそうになったり、面倒ごとを押しつけられそうになった時なんかに、彼女は保身で嘘をつく。

 嘘は嫌いだ。真心がない。気遣う嘘とは違う。気遣う嘘は嘘とは言わず、思いやりという。だから個人的な都合に合わせた虚は、いつも利己が優先されている。
 嘘をつかれても、それが嘘だと確信できたら真に受けなければいいだけの話なのだが、嘘でも話を聞いてあげないと彼女が孤立に苛まれるような顔をするものだから、つい耳を傾けてしまう。下心はない。元来、嘘をつく者は女であれ男であれ好きにはなれないので可能な限り回避してきたこともあって、嘘をつく女をガールフレンドにしたいとは思っちゃいないのだ。

 嘘をつかれたら、話に耳を傾けるふりをして聞き流してしまえばよさそうなものなのに、それができないのは、ひとえに彼女が甘噛みの嘘をつくからだ。噛まれても痛くはないけど、儚く消えゆく命に思えて、つい手のひらで包み込んであげたくなってしまう。
 情に脆いって、なんだか損な役まわりだ。

 もちろん嘘とわかっていれば聞き流す。だけど全部にそれができるわけではない。たまに隙間風のように内側にはい入り込んできて、神経細胞に罹患する。いちど罹病するとその嘘は油汚れ以上に執拗で、投薬も玉子酒も効かないほど重症化する。嘘だと割り切ることができていたなら傷つくこともないのだろうけど、嘘をつく女が煌めくように垣間見せる「これだけは本当のことなのよ」然とした嘘にころっとやられてしまうのだ。

 通年狼少女の彼女がしでかす罪の数々は、持って生まれた気質なのか、周りがそうさせるのか。嘘と知って寛容に接し得なかったこちらの落ち度ではなかったか。だとすれば受容の広げ方の問題として、こちらが責を負うべき話であったのか。

 水が高い所から低いところへと流れ出し、もはや止めようにも止まらなくなった運命の歯車は、なるようにしかならない。急坂から転げ落ちるように、誰も制御に介入できず坂下まで転げ落ち、制動版に当たって動きを止めるまで待たなければならんのだ。

 彼女は甘噛みの嘘をつく。甘噛みされると甘美になる。それは認めよう。嘘は嘘なのに、甘噛みなのだ。いったん噛まれると、抜け出したくなくなる。いつまでも甘噛みされていたくなる。
 もっと噛んでと、心が求めるようになる。

 男は愚かだ。わかっていても噛まれてみたくなる。
 それをわかっている女はずるい。甘噛みさせる男をその嗅覚で嗅ぎ分け、とことん吸い尽くす。

 彼女が腕をまわしてくる。甘んじて受けたのではない。甘噛みに酔いしれていたくて、ふりほどきたくなくなっていたからだ。

 嘘をつく女は好きになれない。だけど甘噛みされると、離れたくなくなってくる。感情はいつでもこのように、理性を平気で裏切っていく。

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