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教授ぅ〜、もっとお易くぅ〜。

「しゃちょ〜う、もっとお安くぅ〜」が茶の間で茶をすするじちゃんばあちゃんの度肝を抜いて久しい。
『なんだこれは、愛人との共演を社会が許すようになったのかいな?』と全国に倫理崩壊の余波を投げた、夢グループ石田社長と歌手保科有里さんとのかけあい。ネット時代の「すぐググる文化」を逆手に取った頭脳プレイに、みごと刷り込み戦略にしてやられた視聴者は多かった。あんなのを見せられて、違和感が尾を引かない愚鈍は持ち合わせちゃいない。それに、大人な仕掛けを初見で見抜けるほど、わたしたちはすれっからしじゃない。素直なればこそ、すっかり乗せられてしまったわけだ。
 だけど、もうわかっちゃったんだもんね。一事を経ずんば、一智に長せず、なんである。同じようなことが未来に起こっても、もう動じないんだもんね。

 ところが、である。二度あることは三度あると説いた昔人の先見の明たるや。まだ二度目のことだったけど、教授、それ、わたしには難しすぎてちっともわからないんですけれど、という壁がリカレント教育の講義で立ち塞がった。いかん、このままでは授業についていけない。いちど理解のつまずきで歩調を乱せば、雪だるま式に理解のドミノが総崩れしてしまう。これまで築いたはずの知識もろとも、ご破産にされそうな危機感が募っていく。だけど、どうすりゃいいというんだ? 起死回生の策はあるのか?

 そのときである。理解できずに悶々としていたのはわたしばかりではなく、まわりにもまた。それも少数派ではなくマジョリティであったことが、社会人生徒の先生に噛みつかんばかりの眼光鋭い《しがみつこうとする姿勢》が視界を埋めた。
 そこに、会社で中堅どころと思わしき女性が、地上から天に落ちる稲妻のように手をシュッと宙に伸ばし、高らかに宣言した。
「先生、いまのところ、わかりません。わからなかったのは私だけではないと思います。でも、どこがわからないのかと言われても、どこがわからないのかさえわからないのです。どうかわかるように説明していただけませんか?」

 そこに、保科さんはいない。いれば「しゃちょ〜う」もとい「きょうじゅ〜う」と甘い言葉で男の勘所をくすぐって落としてくれたかもしれない。
 手を高らかにあげた宣言選手のような女性は、保科さんとは対極の性差を親の仇みたいにとらえるタイプに見えた。正攻法で理論的に教授による理解促進の解説を引き出そうとしている。
 硬い授業を柔らかくする意味で「きょうじゅ〜う、もっとお易くぅ〜」とやって欲しかったけれども、シュッと手をあげた彼女の容姿を確かめたら、諦めた。

 教授は、どこからわからなくなったんだね、と手をあげた女性に訊いた。女性はだいたいこの辺りから、とテキストのこ見出しをあげて教授に伝えた。
 もし保科流「もっと易しくぅ〜」が出現し効果を発揮すれば、教授は問い直す手間をかけずに、とりあえずもういっかい同じところを説明しはじめたはずである。

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