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笑止恒例化。

 豊かさが浸透すると、出生率が下がってくる。かつて欧州の先進国がそうだったし、日本も経験してきた。今、中国がまさにその渦中にある。
 暮らしが豊かになれば、金がかかる。子供を持つことは、豊かさと反する行為にあたるのだろうか。ところが金銭面で少子化にメスを入れても、補助金でも救えない現実からすれば、金銭面の不安が妥当な理由にはなりえない。しかも高所得者ほど子沢山なんて話は聞いたことがない。潤沢な金の循環が少子化に歯止めをかけるなんてことは夢物語にすぎない。人は、経済的豊かさの隙間から這い出てきた怖さに慄いているのだ。人々は今、這い出てきた恐怖から逃れようと、そのメンタルが崖っぷちに追いやられている。
 今現在我々が手に入れた暮らしの豊かさは、背伸びをしつづけて追ってきた生活の質。雲のはるか上空にあったその質に、バベルの塔を組み上げながら手を伸ばし、ようやくその端っこを掴んだというのに、足元は心許ないつま先立ちだったことに気づいてしまった。じぶんひとりなら、ふくらはぎや太ももをぷるぷる震わせながらでも、どうにか立っていられる。ところが2人3人と乳飲子を抱えてしまうと、養育の手間しかかからない彼らは重荷にしかならない。それは、錨を足に巻かれた身を海に投じられるのと同じ恐怖を喚起する。
 だからといって、施しを受けることを許容するかと問われれば、背に腹は変えられぬと受け入れる人も出てくるが、それはもはや豊かさとはいえないときっぱり拒絶する人も出る。受け入れてしまうと、手に入れたはずの豊かさは儚い夢だったことを認めてしまうことになるから。
 豊かさが浸透すると、プライドのほうは上がってくる。プライドは鼻ばかりでなく、生活レベル・マッピングのクリッピング・ポイントも高くなり、つま先立ちの高さをさらに上げてしまうことになる。
 もういっぱいいっぱいに伸び切った状態なのに、親方日の丸のあの人たちときたら、新資本主義だなんて、さらに背伸びをさせようとする。
 
 ま、無理をして転けても大変だから、人生の踊り場でひと息入れてみましょうか。吸った息を吐き出せずにいる窒息寸前の生き▼▼苦しい毎日から空想世界にそっと踏み入って、命の洗濯。そんな洗い清められるような絵空事物語をそろそろ書いてみたいなあ、なんて考えてる。

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