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開ける時はいずれ訪れる。玉手箱。

 浦島太郎の玉手箱、人はふたを開けるとたちどころに歳をとると信じ込んでいる。電信柱の陰から現れるインチキおじさんのように『ボワ』っと立ち込める煙に包まれることによって。

 だけど真実は少し違う。

 歳をとると無性に人生を振り返りたくなって、その衝動に駆られてふたを開けてしまうからなんだ。箱にしまわれたあまたの思い出は、かつてきらきらとした華やぎに彩られた宝。今ではとうに失われてしまった輝きに、ギャップの残酷さを突きつけられるからなんだ。その衝撃波は脳みそをぐらぐら揺さぶり、思考を蹴り散らす、頭は真っ白ーーそれが煙の正体さ。
 人は玉手箱のふたを開けたとき、どれだけ歳をとったのかを思い知らされる。

 これがふたを開けると歳をとるしくみ。

 人は誰でも玉手箱を持っている。

 でも、若いうちにふたを開けても効果はない。中にしまった煌めき以上に輝いている時期だもの。「昔はよかった」なんてセリフも板についていないころだしね。

 経験を重ね、艱難辛苦で人生のスルメを味わい深く濃ゆく醸し、花火のように打ち上がっては直後に消えた遠いときめきに目を細められるようになって初めて、中に宝がしまわれていたことに気づく。

 若いうちの玉手箱には、まだ未熟者の空まわりしかしまわれていない。開けて中を覗き込んでもちっとも面白くないのはそのせい。苦労に次ぐ苦労をこなし、いなし、捨てることなくきっちりたたみこみしまい、努力の実りが記録として刻まれ、脛に傷のひとつやふたつあってもいい、そのようにして玉手箱は宝の価値を増していく。

 玉手箱から立ちのぼる煙は、生きた証の重みだったんだ。

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