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嫌いがあるから好きになる。

 線を引いたみたいに降る雨の梅雨を好きになったことなどなかった。歯を喰いしばるみたいにして、じっと待つ。見て見ぬふりをして、苦手な食材を避けるようにやり過ごす。忌避すべきいとましい対象として梅雨があった。
 
 大人の口は「土が喜ぶよね」とか「干上がったらたまらないもんね」と平気で本音を欺く。野菜は空輸されるし、湧水は枯れないことを知っているから。
 
 あざとさは、知識を備えた者のまやかし。都合のいいように組み替える我の骨頂。身勝手な良し悪しの判断は期待値でしかないことくらいハナからわかっているというのに、つい甘い汁に溺れたくなる。
 つくづく怠惰にできているものだと呆れもするけど、甘い蜜の粘りと誘惑は執拗に甘美で、術にはまると抜け出しにくくなる。いちど合わせ、合致具合がいい感じすぎて吐息が漏れる経験を経ると、もうだめ。逃れられない罠にはまっている。快楽に身を震わせた経験が甦り「もっと」と求め嘆願する。掴み、貪り、喰らうがごとくに味わい、貪る。
 
 雨は、火照った思考に立て板に水の体で宙に立体の線を引いていく。
 
 梅雨は嫌いだった。
 アウトドアのフィールドから締め出されたみたいでイヤだった。
 
 でも今は違う。経てきたもの、感じてきたもの、考えてきたことから先が少し見通せるようになって、好きなことへは嫌いを経たほうがより好きでいられることがわかった今、梅雨が嫌いではなくなった。
 
 戸を閉じ窓を閉め、それでも忍び入る雨音に耳を澄ます。
 雨音が聴覚を震わせている。
 目を閉じていても、雨が線を引くみたいに落ちてくる光景が見える。まるで切れ目のないループのように続くしっとりした絹糸状の雨。

 瞼の裏側で、顔を雨の降りてくる上に向けてみた。
 細くか弱い雨足でも、弱く敏感な顔の皮膚には刺激が強い。
 瞼の裏側の顔の瞼も閉じられた。
 
 梅雨が始まって数週間が経った。
 梅雨もじき閉じられる。

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