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時は神さま。

 時間を追いかけてきた。ずっと。時間を追いかけるのにたくさんの時間を割くこともあれば、申し訳程度に追いかけたこともあった。そのようにして、休むことなく、チクタクをてくてくと追いかけてきた。 
 追いかけても追いつかず、近づこうにも近づけず、時間はいつだって他人の顔をしてただ淡々てくてくちくたくと前を向いて歩いていた。

 ブラジルの信者はそれを神さまだと信じて疑わなかった。共に歩み、時に救いの背中を差し出す人生の師だと。
 信者の男が尋ねたことがある。足を止め、過去を振り返った男は「どうしてあの一部、ほら、ずっとふたりの足跡が続いているのに、あそこだけひとり分の足跡しかないのですか。あなたはずっと一緒にいてくれると言ってくれたじゃないですか」と神さまに詰め寄った。まるで人生の歩みを失おうとする刹那の哀れな息をする者が、最後の願いだからきいてくれ、と懇願するように。
 たしかに足跡はひとり分しかない箇所があった。そして神さまは、いつだってあなたと共にある、と約束していた。

 神さまの表情はいつだって穏やかで、この時も寛容の後光であたりを照らしながら、口元を柔らかく動かし、男に答える。
「あれは、あなたをおぶっていたからですよ」
 時間は人の都合を気に留めることなく冷酷に刻み続ける。落胆の淵に沈んでいる時でさえ足を止めることなく、置いていかれそうになる者をその背におぶって先へ先へと進んでいく。

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