慣れ、のち落とし穴。
車の運転でも好物の辛さでも、慣れてくるからこなせるようになってくる。そう、郵便局員が手作業で投函された手紙の山を送付エリアごとに素早く捌くように、こなせるようになっていく。覚えたてのころの拙い手つきも、慣れてくることで次第に板についてくる。ローマが出来上がるまで幾日もの歳月を歩んできたのと同じように、慣れの後ろには経験の道ができている。私たちは何を覚えるのにも開拓者をしてきた。
道中、苦しさもあれば辛さもある。喜びだって。緩急があるから前へ進んでこられたんだ。きっとこれからも進んでいかなければならないもの。呼吸を止めれば死んでしまうから、たゆまないタイムスタンプをひと呼吸ずつ押していかなければならない。
気をつけるといいよ。なにせ踏みしめてるのは未知のものだから、何が起こるかわからない。亀裂がないとも限らない。轍がないとも限らない。ヒグマが出没しないとも限らない。歩くのは慣れた、だから大丈夫なんて思っちゃいけない。気を抜くと、目と鼻の先に落とし穴。ふとした油断が事故を呼ぶ。
人生、悔いのないように歩いているかい?
人生もまた道。
不思議だよね。たくさん歩いてきたはずなのに、人生ってやつの道はちっとも慣れた気がしない。
でもだからこそ、いつだって鮮度の高い刺激に満ちている。
でもさ、いくら細心の注意を払っていたって、ついうっかりはまってしまう落とし穴。ふとした油断にずっぽり。身動きできなくなっている。それはきっと、知らずのうちに抜いた気に、天誅がくだったからにほかならない。配慮欠落への戒めだったのさ。
泣いても笑っても落とし穴にハマるものならば、小出しにハマるのがいい。微調整で修正しながら前に進めば、きっと大事には至らない。ドカンと致命的な一撃で、はいそれまでよ、なんてのは真平ごめんなんだから。
慣れ、のち落とし穴。気の緩みが注意どき。
春が終わる。長雨のシーズンがやってきて、夏に向かう。雨、のち夏。歩き慣れた毎年のこと、その道行きに不安なし、とナメてかかってはいけない。気を抜いちゃうとしっかりその先に落とし穴。慎重に。深長に。そして心跳に。夏を迎える。
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