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裁かれる者。

 死刑囚に会いに行くなんてこと、この仕事をしていなければ一生経験できなかっただろうな。

 死刑を求刑された者に会いたかったからこの職に就いたわけではなかった。仕事で暮らしを支えていくためには、組織の意向を優先させなければならない。それはおかしてはならない聖域であり、踏み入ってかき回しちゃいけないタブーである。
 とはいえ、死刑囚に会いに行くなんてこと、できうるならば避けたかった。だって、決められた日に死んじゃう人なんだよ。生きていられる日々に、夢も希望も描けない人に、なんだよ。他人事ですませることなんて、小心者にはとてもじゃないけどできない。
 一方、組織は組織で組織の保身がある。売上を伸ばすためならば、人という駒を平気で戦地の最前線に送り込む。

 子供時代は、自分が嫌なことは他人にしちゃいけないよとさんざん教えられてきた。なのに実社会ときたら。
 大人になってわかったことは、組織が生み出す流れは絶対で、圧倒的指示を受けた者は従わざるを得ないということ。大勢に逆らってはいけないのだ。叛逆は、あるいは楯突く者は、即刻ダメ社員▼▼▼▼の烙印を押され弾かれちまう。だからいくら心に漣たったって、ポーカーフェイスで「御意」と返さなければならない。司令に対し発令者を安心させる交換の契り、培われてきた慣行は、飼われた犬の唯一の生きる道である。

 刑務所がドラマで見るほど体温が行き渡っていないことはわかっていた。ドラマを制作する側から眺める刑務所が、どれだけ殺風景に作り込まれていようとも、カメラの裏側で息を潜めるスタッフの醸す体温の集合体が、スタジオ全体をぬくませる。

「今日は伺いたいことがあってやってまいりました」
 死刑囚がどんな反応を採るか、幾つものシミュレーションをしてきた。反応に応じて次の句を繰り出す。そうしなければ、目的が達成されることはない。警戒されて口を閉ざされるわけにはいかなかった。そんなドジを踏んだなら「使えないやつ」に成り下がる。
 こじ開けようとしている扉は、完璧に開き切らなければいけないのだ。口を開かせなければならないのだ。

 私は裁かれるような心境で、今、死刑囚と対峙している。

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