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そうしてママになっていく。

 今日も目が覚めると娘がいる。3年前から毎日そうだ。乳離れは終わっているが、親離れはまだ先のこと。
「やだじゃありません。行くよ」
 私にも仕事がある。パパを送り出してすぐ、我が子を保育園に送りにいって、そのままオフィスに向かう。
 損保会社で総務の仕事をしている。出産を機に営業統括から移動になった。それもまた私を変える転機と繋がっている。娘が産まれてから毎日、私は母親をしている。毎日、来る日も来る日も。
 覚悟というものは1000日を境に確定するものかしら? 私は母親を繰り返して3年目、ママが板について離れなくなった。
 私の中にある無垢な乙女はママになった私に取って代わられ、窓際に追いやられた総務の席から人生の崖っぷちから谷底をうれわしげに見下ろしている。

 夫婦の営みは、一人めの出産で打ち止めになった。
「ひとりっ子は、親の愛を100パーセント享受できるから」とパパは言う。
 それが理由? と私は首を傾げる。
 きっと真意はもっとほかのところに。でも、そんな詮索が許させるほど、私は暇ではなくなった。
 それにしても、どうして大家族で育ったのにあの人が平穏で静かな小家族を好むのだろう? 私はてっきり兄弟姉妹がかしましくする未来像を描いていたのに、そのヴィジョンは露と消えた。あの人、もしかしたら、幼少期に大家族であることの中に、受け入れ難い傷を負っていたのかもしれない。

「もうひとり」と言いかけて言葉を飲み込んだことがあった。あの人の意向を汲んだ結果となったが、当時の理由はそれだけではなかった。物価の上昇に収入が追い越されるのが怖かった。 
 がちゃがちゃした子沢山家族の体温のある暮らしもいいけれど、夢見て実行に移すと、現代社会の足場を失う。二人目を産んだら、二人を平等に愛し同じように潤沢な学費で社会に送り出してやる自信がなかった。経済は、家庭事情になどかまうことなく、容赦なく加速していく。その加速力に着いていく自信がなかった。

 私とあの人は、暗黙のうちに「三人家族」形態に人生の手を打った。
 私はママになり、あの人はパパになった。男と女だった関係も家族となったことで落ち着いた。あれだけ燃やしたときめきは噴火の溶岩だ。吹き出しては絡み合い、すべてを焼き尽くしたあとで冷めて固まる。言い合いの応酬、火花を散らしたこともあったし、「出てけ」「出てく」で近所の耳をそばだてたこともあったけど、溶岩が大気に冷まされるように雨が降って家庭の地が固まった。

「やぁだ、行かない」
 娘が駄々をこねる。最近毎日だ。保育園で嫌なことでもあったのだろうか。それとも母恋しさの顕れか。考えなければならないことは山ほどあって、迫り来る出社時間に押し出され、問題の解決はいつだって先送りされて宙にぶらりんと浮かんでいる。
「だめよ、出るわよ」問答は繰り返され、優しい口調が次第に尖っていく。そして最後は大人の権限が娘の襟首をつまみ上げる。
 こうして私は慌ただしくママになっていく。無垢な乙女を懐かしむのはまだ何年もあとのことになりそうだ。

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