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道のりは遠い。千里のピアノ。

 ピアノほど、感情をこの世に反映できる楽器はないと思う。断言できるほど多くの楽器を試してきたわけではないけれど、数少ない経験から自己ベストな解答を導くなら、音域の広さと和音の多彩さが関係しているように思う。同じ鍵盤楽器のチェンバロと違って、音の強弱、余韻、音の切り方が自在に表現できるのもいい。

 さて、楽器に表現力があっても、演奏者に表現したい魂の塊がなければ、調味料を欠いた料理にしかならない。
 曲をどのように表現したいのか、まずは心が叫べるくらい、聴きこまねばなるまい。聴いて聴いて飽きるほど聴いて、いったん離れて熱を冷まし、それでもなお「こうありたい」と腹の底からマグマの如し情熱が湧き出せば、向かうべき表現の道筋が見えてくる。
 ただ、見えても弾けない。演奏するには技術が足りなすぎる。マリオネットを自在に操るように音を遊ばせることができなければ、思い描いた世界はこの世に出現しない。
 さて。
 千里の道も一歩からという。
 千里の千分の一は一里。4キロもある。一歩を踏み出し歩き始めても、4キロ約1時間。千里はその1000倍もある。
 基本のドはこの鍵盤で、白い鍵盤の右隣ふたつ目がミ、さらにひとつ飛んだ白鍵がソ。合わせてドミソ、和音C。
 ……。
 ピアノ演奏への道遠し。表現したい魂の塊はその影すら見えていない。
 やれやれ。

【まだ尾っぽの端っこを掴んだ程度。これくらいじゃ、弾き始めたとは言えない】

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