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怒れる大人が叱られる時代。

潔い怒り方ってあると思う。

昨晩、JRの改札口で見苦しいものを見たもので、そう思う。
有人通路で駅員に対し「気遣いがない」と声を荒げてがんばるおじさん。
後続のじっと待つ客に気遣いなしで主張ばっかりぐだぐだ。

なにが起こったの?
ん? スイカの不具合。
で、駅員の対応に堪忍袋の緒を切ったご様子。

JR駅員と怒りのおじさん

腹の虫の居所が悪くなることってある。それはわかる。
怒りをぶちまけることに両手をあげて賛成はしないけど、それでも爆発するときはどかんと一発。そのあとは「そういうことだから、キミ気をつけてね」と忍の字を怒りにかぶせて自分に課せたら、それは大人の怒り方かなあ、なんてことを、後続客のさらに後ろで考えていた。

おじさんはいい大人だったのに、良い大人になれなかったんだね、きっと。

人のフリ見て我がフリ直すじゃないけれど、残念なことに反面教師はたくさんいる。
「ああはなりたくないかなあ」
そういう意味で、学びの場は無限に広がっている。
あんまりいい状況とはいえないけれども。

自分も学ばれる側のひとりになっていることもあり得るし。
その可能性を考えると、怖くて下手なことはできない、言えない。

年を重ねても大人の座に鎮座させてくれなくなった現代、それがストレスになっているのかもしれないね。だから些細な針で不満袋が破裂しちゃうんだ。

きっかけは、「読み取り機に乗せたスイカを駅員が断りなしに動かした」とおじさんが主張し始めたこと。
一部始終を見ていたけれど、駅員さん、事前に「移動させますね」と口にしていたのだけれどもね。
おじさん、耳が遠かったか。あるいは勘違いしていたんだね。
いずれにしても、おじさんの主張は間違っていた。

おじさんを指導する国語教師の立場であったなら、正しくは「同意を得る前に動かしたのはけしからん」と主張するのが筋でしょう、と説いてあげられたのになあ。
その前に、倫理教師の立場として「人の気遣いを責める前に自分の気遣いを見つめてみましょう」と導いてあげたのに。
こんなことだから、5歳の女の子に大人が叱られてしまうようになってしまったのだね。

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