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確かにある。

『大きなのっぽの古時計』を分解してみた。いやなに、ドライバーでネジを回し、歯車云々の話ではない。長針、短針を巻き戻し、時系列的に。歴史はおじいさんが生まれた朝まで遡る。

 おじいさんが生まれた朝にやってきた時計は、当時は当然ぴっかぴかの『大きなのっぽの時計』だった。おじいさんの心臓が歓喜で早く打ったり、たおやかな時間に優雅に奏でられたり緩急をつけて流れていたのを、のっぽの時計は感情に流されることなく、淡々と、それこそ機械的に一定のリズムで歴史を刻み続けてきた。
 その新時計がおじいさんの(といっても、この頃の彼はまだ年を取ってはいない)成長に合わせて暮らしに馴染んでいき、次第に年季が入っていく。100年経って古時計となった時、渋谷の駅で息絶えた秋田犬よろしく忠誠を誓っていたかのように古時計は運命を共にし逝ってしまう。
 今はもう動かない古時計を前におじいさんを悼んでいるのは彼の孫ということになるのだろう。

 ピアノの伴奏に合わせこの歌を小学校の講堂で合唱した日々、歌詞の主人公はてっきり子供だとばかり思っていた。時を刻むことなく生き絶えたのっぽの時計は焼かれることなく、100年前にやってきたままの場所に鎮座しているーーその亡骸を子供が見上げているのだと。

 だけど、おじいさんは100年前に生まれていたのだ。考えてみるといい。100年も昔のことなのだ。歌の孫が仮に10才だとしたら、親子の年齢差が30才だとして、おじいさんの年齢はおおよそ70才。計算が合わないことにある日ふと気がついた。
 親も祖父も晩婚だったとして帳尻を合わせると、親子の歳の差は45才ということになるので、これもまた不自然だ。
 だとすると、おじさんを偲ぶ孫の年齢を調整して再考してみるしかない。

 30才で子ができたとして再計算してみると、今まさに時計が止まったとして、孫の年齢は御年40才。
 40才といえば、人生にくたびれた感が滲み出てくるお年頃である。いい思いをよくない思いが上まわり、経験の重石に人生の海で溺れかける頃である。純粋に古時計におじいさんを投影するには、交錯する酸いと甘いが邪魔をする。
 ……ということで、歌を見る目がだいぶ変わった。

 小学校の講堂で少年少女合唱団は、40歳になったおじさんの視点で見上げる『大きなのっぽの古時計』を歌い上げていたんだね。

 知らぬが仏。知識の蓋は開けずにしまっておいたほうが幸せなことって確かにある。

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