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困難は幸運の蓄積期。

 難題や難問が連なれば『一難去ってまた一難』、重なれば『泣きっ面にハチ』。古来より人間は、厄介ごとを自ら望むが如く抱え込んでは、あくせくやってきた。振り返れば些細なことだったと笑える長調の混じった困難もあれば、過ぎ去ってもなお闇しか見えない短調に染まった困難もある。

 困難は、個人宅に突入する飛び込み営業のように、不意で不定期に、しかも強行にやってくる。
 ぴんぽん。
 玄関のチャイムが押されたが最後、民家のひと気を息を殺して察知して、出るまで居座る。現れること烈火の如く、それだけでも凄まじいのに、輪をかけて鬼の形相、チャイムを連打する鬼気迫る気迫、帰路の電車賃まで賭けるギャンブラーの如し。いったん狙いを定めたら、執拗なこと、特売日に照準を合わせる主婦の如し。

 いちど困難に睨まれたら、蛇を前に凍りつくカエルとなる。もはや呑まれるしかない。

 困難を抱えると、熱湯が喉を通るのと似て、辛く、痛い。熱湯が喉を通るのと違って、喉元過ぎても辛さ、痛さは残るばかりか、かえって増幅されていくことがある。

 それでも、人生を少しは達観できるようになったから、負のアクシデントも塞翁が馬の1シーン。海に沈められた浮き輪は限界点を超えたとき、勢いをもって海上に飛び出すものなのだ。

 だいじょうぶ。百年河清を俟つなんてことにはなりませぬ。人生だもの。

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