食は気を遣う。いや、ものによって注意が必要だ。いやなに、フグのキモとかレバ刺しといったデンジャラスゾーンに踏み入ろうなんて気はさらさらない。もっと地に足のついた、庶民級の話として。
とくに魚介系には気を遣う。つぶ貝をおろすとなると毒性部位を取り除かなければならないし、スルメは味わい深さと引き換えに噛み力を使い果たし、疲れてしまう。余力がなくなると、平らげなければならない他の食べ物の摂取が苦しい仕事になる。
魚の骨には柔軟に対応していかなければならない。
二シンが問うてくる課題は容易いほうだ。幼少期、口中でワタワタする小骨が煩わしいと悩まされていたけれど、噛めば噛み切れる大人になって、認識が踵を返したみたいに変化した。
それに引き換え太刀魚の小骨はタチが悪い。小骨でも手ごわい。気を抜いていると、口中や喉にグサとくる。
七転八倒しながら、骨から身をこそいでいただく。
骨が残る。魚好きのピカソが魚を食べ終えたあとくらいに、綺麗に骨だけが抜き出されている。
だけど。
「ほれ」
かつて馳走だった魚の骨は、現代猫には粗食でしかない。今や余りものを人様がしゃぶり尽くすようになっている。さんまの値段も高騰したまんまのようだし。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?