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あえてイバラ道思考。

 社会を変えるのは、肉じゃがを調理途中に突如カレーに変更するようにはいかない。いくら機転を効かせたって、相手が悪すぎる。煩雑な手順を踏まなきゃならならないし、根回しに要する時間と人脈も必要になってくる。反対勢力の出現で遠回りを強いられることもあるし、へそ曲りに行く手を阻まれれば頓挫するし。これがルーティンで時間勝負の料理なら、煮込みすぎてくたくたのルー状態になっちゃうところだ。
 
 仕事は大きくなればなるほど、成すのに手間も時間もかかるようになる。だから短気に臨んではいけない。
 ガウディを見て見たまえ。辛抱強く400年先を見据えていたじゃないか。ガウディが直接指揮をとっていた当時、完成形は胸の内にしかなかった。それでもコツコツと積み上がり、技術と人智の進歩が要する時間を短縮していった。
 
 完成形が加速度的にその進捗を早めるのは、工程の後半だ。初期段階においてはバラバラだった素材を収束するのに手間どるのは当たり前のことで、初速はもたつくものなのさ。目指す方向性が絞られ、どうにかこうにか動かすことができたらしめたもの。少しずつ、少しずつ、速度に速度を足していき、昨日より今日の速度が増していけばあとは勢いに乗ればいい。
 こうなると早い。波に乗ってしまうところまで漕ぎつければ、帆船の帆が追い風を受けるようになり、ぐんぐん速度を増していく。
 
 最初ちょろちょろ、中盤からぱっぱといくようになる。
 世の倣いだと思わないかい? 偉業と呼ばれるものはみな、初期段階では苦難に見舞われ、足枷をはめられた足取りのごとく一歩一歩が重いけど、泥地を抜け出すことができたなら、その時には栄光のゴールは目の前だ。
 
 仕事に壁を感じているなら、それが大きな仕事であればあるほど、重責があなたを潰そうとのしかかったように感じているかもしれない。だけどその障害は、壁の向こうの栄光を遮ろうとする試練なのじゃないのかな。
 壁の向こうには光があることを諦めてはいけない。足元に目を落とすんじゃない。地面には転がりようもない小石しか落ちていない。転がらない小石になんの励ましがあるだろう。絶望が背中から湧いてきて、あなたを完膚なきまでにへこませにかかってくる。子泣き爺いのように、あなた泣かせジジイとして。

 顔を上げて。涙はいらない。そしてその目ん玉ひん剥いて壁の向こう側を見据えてみようじゃないの。400年先といった途方の未来を見るわけではない。少し先の、追い風を受けた波に乗った近未来を。
 
 世界を変えるのに、呑気でいてはいけない。長閑はその日暮らしを助長する甘い誘惑だから。
 社会を変えようと思ったら、整備された歩道を行くのではなく、泥地を選ぶことだ。抜けるのに難儀でも、抜けたあと泥にまみれた額に流れる汗はみなが賞賛するに値する輝きに満ちている。
 
 
ーーある町起こしの事業で行き詰まりを感じている現場スタッフへのエールーー

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