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存在意義の「3ない」撲滅運動。

 前世を知らぬまま歩み始めたわたしたちは、後世を知らぬまま旅立つ。閃光よりはるかに短い瞬きの間なのに、現世だけでも70億分のたった1でしかないのに、歴史の長さを踏まえれば、億、兆、京、垓・・・と続く無限ループ分の1と限りなく無に近づくちっぽけな存在なのに、失くなりそうな風前の肉体に蠢く「もの思う我」の扉を開けた内部は、空虚なほど広大かつ超密度で重い。

 内側から宇宙を仰ぎ見れば、生命体数の多さに気圧され縮こまる引け目のほうこそ無意味に思えてくる。世間の荒れ狂う荒波や、吹きすさぶ世間の寒風に叩きのめされながら、わたしたちは歩むべき地を探し彷徨い、張るべき根に似合う大地を行く先々で吟味してきた。その行いは、限りなく無に近い存在に打ち込む、自己証明のくさびだ。意志の楔ひとつひとつは微力なれど、チリツモ(塵も積もれば)堆積が導く決意集合体の羅針盤だ。

 無常の大海にゆらゆら漂い、冷風に晒され、これからも続いていくものだからこそ、わたしたちは我が身・我が心に確たる芯が入り用になる。決意集合体は、その、しがみつくべき精神の帆柱だ。

 息をしているうちは、生きなければいけない。息ができる「存在」という容器を手に入れたうちは、たとえ閃光の間であるにせよ、煌めきの一瞬をまっとうしなければならない。燃え上がる焔を最大限に燃やさないと、誰の顔も照らし出せない、気づかれない、生きた証にうなずけない。


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