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ごめんよう。

 親が年金暮らしになると、就職した子の収入が上まわるようになる。同居していれば現実問題がとんかつに染み入るソースのように身に馴染んでくるが、とくに子が都心部なんかで切り盛りしていると、親の悲哀が見えなくなる。親は親で子に心配をかけたくはないし、切り詰めればどうにかやっていけそうだから、子にすがるなんてことは死んでもできない。
 このようにして迎えた収入の逆転劇は、いろんなところに隔たりをつくっていく。知らぬ間にその差は何馬身も離れたあと、ある日突然に眼前に、これが現実だよと突きつけられる。
 牛肉を買うにも子は和牛のサーロイン、親は牛のつもりで豚スキ。イチゴにしたって、粒揃いのアマオウか、小粒ジャム用の酸味の優った特売品。

 お父さん、お母さん、ごめんよう、そんな現実に少しも目を向けないでいて、与えられる課題に脇目もふらずまっしぐらに走ってばかりだったよう。古米じゃなく、採れたて新米を食べさせてあげたかったよう。特売になってからじゃなく、口の黄色いうちのサンマを買ってあげたかったよう。ココナツサブレじゃなく小川軒のレーズンウイッチを買ってあげたかったよう。
 ごめんよう。
 あふれんばかりに注いでくれていたっていうのに、気がつかなくってさ。ごめんよう。もっと早くにわかっていなければならないことだったよう。

 ごめんよう。

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