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認識視角。

 モノの見え方、見方で変わる。

 この目、右目? それとも左目?

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 懐疑心から入ったら、すぐに左目にたどり着く。ハッとして見入った驚きのあなたは、右目と捉えたかもしれない。

 どっちが正解というわけじゃあない。どっちも正解。

 モノを見るには角度があって(これを認識視角と名づけた)、認識視角によって形も変わる。

 玉子は?
 卵型?

 でも、それだけではないでしょう?

 下から覗けばこんもりお椀の円になり、鳥瞰ちょうかんすれば小高い小山の円になる。認識視角を10度ずつずらしてキャプチャーすれば、一つの玉子が36様に変化する。もっと言えば、正解は無限に広がる。
 でもね、認識視角の視点の始点は自在なんだよ。支点をずらせば「解答は無限」ひとつに集約されることだってあるんだ。

 それは詭弁だ、ですって?

 いえいえ、そんなことはありません。知恵、思慮、規範世界の処世術。最新兵器みたいなもん。悪く使えば破滅のツールで、平和利用で豊かになれる。

 言いたいことはふたつあってさ。

 ひとつは、これ。
「俺だけど、会社で預かった100万円、紛失しちゃってさ」の類の一報。認識視角の角度を変えれば、おいそれと騙しの手玉に取られない。

 もうひとつはこれ。
「無駄をなくせと言うのなら、できない人材押し付けるんじゃないよ」の不平こぼれる仕事現場。受け入れる、受け入れないの判断、あなたに委ねられているんだっけ? あなたの視点は個人の感情。認識視角の始点を変えれば、いろんな都合が見えてくる。
 
 わたしたちは単細胞じゃない。複雑細胞の絡み合った事情、感情の編み目をくぐる知恵がある。嫌悪、排斥、小競り合いの時代もあったけど、今でもそれらに彩られた彼の地はあるけれど、此の地は許容、寛容でやっていく道を指し示した。認識視角を持って臨めば、針の穴ほどしかなくっても通り道は見つかるものなんだ。

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