見出し画像

「私は普通じゃないから」を口にする女。

「ゆうさん、まったくあなたの言ったとおりだったよ。『私を素材に書けば面白くなる』、そう言って自分の価値が特殊で特異を疑わない、だけど実のところ普通の枠内に納まった女は(男も)たくさんいる。
『私は普通じゃないから』。どうして臆面もなく、抜け抜けと言ってのけられるる?
 亀を罵った兎はプライドを地に落として物語は終わるんだぜ。どんぐりの背比べて隣人を見下したって、蹴落とされる身は明日の君だ。小さいころに何を学んできたっていうんだい?
 自惚れは恋と同じなのかもしれないよ。人を盲目にする。
 君は勉強でもスポーツでもこれまで一度だって一番を取ったことないくせに、人から感心されたことだってないくせに、どうしてそんなに虚勢の鼻を高くできるのさ? 縮こまった経験が、小さい自分にハリボテの自信を貼り付けていったのかも知んないね。一発逆転を狙う大それた魂胆でも持ち合わせていれば少しは希望も持てただろうに、噛み合わない歯車はいくら回し続けたって、人生のからくり時計は針を前に進ませることはできない。
 弱き者を殺し新聞を賑わせたのでもない、民衆をサリンで怖がらせたのでもない、好きな男の真ん中を切り取って食らったわけでもない。世の話題を掻っ攫ったことなどたったの一度だってないくせに。
 過去の犯罪をなぞるようではいけないよ。これら極悪な事件はもはや既知の現実だから、真似ても無駄、二番煎じになるようなことは無駄だってことを言いたいわけよ。そもそも犯罪で名を馳せたって、それは意に叶うことではないはずだからね。これまで誰も考えなかった潔白で仰天な仕掛けで世間をあっと言わせなきゃ。でなきゃ普通を脱し得ない。
 それでも『普通じゃない』自分に憧れる?
 これまで一番を取ったことのない君に、それができるとでも?」

 人は迂闊にも自分が特別だと思いたがる。我が身のこれまで施してきた正義は社会に認めてもらうべきものだし、受けてきた辛苦が常軌を逸していたこともまた知らしめたいと、本気でそう思ってる。だってそれらはみな、自分しか経験し得なかった特別なものなのだから、と。

 特別なことをしでかした人物でなければ、「あの人は特別」と言ってはもらえない。『特別』は自分が主張すべきものではなく、周囲が認めていくものなんだ。たまに「言ったもの勝ち」を信じている人がいて、それは違うよと咎めてもわかってもらえなくて(自己主張の過ぎる人は往々にして人の話を耳に入れないものだけど)、でも現代を往く人々は真意を見抜く眼力に長けているから、あまり侮らないほうがいいと思うよ。聞く耳で知識を積み上げることのできない、なんと薄っぺらなやつ、と内心で一蹴されておしまいだからね。
 もういい大人なんだから、変哲もないスニーカーを買ってもらった子供じゃあるまいし「これテレビで宣伝してたやつ」とさも特別なものを手に入れたがごとく自慢したって、誰も感心などしてくれない。

「あのね。君は磨いても光らない原石でしかないんだよ。烏合の衆から一生抜け得ないいち個体でしかないんだよ。サッカー観戦でちらりと映る数万人の1の観客でしかないんだよ。特別だと思っているのは自分だけ。
 夏に煌めく鱗のような小波は確かに見つけられることがある。人はそれを見て心を動かすかもしれない。だけどその波が誰かなんてことに関心はない。綺麗なものを見た、それだけで完結する。煌めきを追いかけたりなんかしない。心の動きを自分の心の内にしまっておくだけで、小波に敬意は払わない。心に小波の面影は刻んでも、小波が誰かなんてことに心は揺れない。どこぞの名前も知らない誰それさん、なのだろうな、程度で終わる。ましてや小波の素性など知りたいとは思わない」

 どうして『特別だと思われたい人々』は現状を知ろうとしないんだろう。特別な存在に憧れたって、あの程度の夢見心地じゃ、誰に見向かれることもない。小波は平々凡々の時間の流れで起きる想定内の些事でしかないことに気づけない。
 誰かに振り返ってもらいたければ、相応の仕掛けがいる。並大抵を遥かに凌ぐ努力がいる。スマホゲームに割く時間なんていの一番に削りとって、頑張らなければならない。
 それができる?

 覚悟なき憧れでは願いは指の間からこぼれゆく砂でしかなく、砂上の城さえ築けない。

■■■■■

 昨今の多様性を認めようとする時代の風潮は、線引きが難しい。「私は特別」「やってもらって当たり前」「お膳立てされていなければいらつくのに、お膳立てが雑」。これらも受け入れなければならない多様性なのだろうか?
 多様性を謳う前に、自立があるべきじゃないのかな。
 あるいはこの国の多様性浸透戦略の過程において、独立した精神を磨いてもらおうという魂胆なのかもしれない。
 個人主義への過渡期。書き留めておきたいエピソードには事欠かない。指の間から落ちていく砂にしてはいけない。ひとつでも多く拾い上げ、取りこぼしのないようにしていかないと。

【猫はこぼさないよう、きちんと躾けておかなくっちゃ】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?