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時間よ止まれ?

『時間よ止まれ』という歌があった。歌ったのは誰だったか。
 年末年始の休みを控え、さて、歌のように時間よ止まれの願いがいちどだけ叶うなら、休みに入る前か、あとにするかを考えた。
 休み期間突入直後なら、これからはじまる大休暇に踊る胸の希望値は気球規模ほど膨らんでいくことだろう。そんな喜びと楽しみに満ちた『時間よ止まれ』だったなら、いい思いの玉手箱を手に入れたも同然。
 ところが、だ。あとにすると、休んだ実感はあるにせよ、眼前に迫った休み明けがどんより気持ちを重くすることが目に見えている。ましてや何かと活動的野心を行動制限されるご時世だから、休暇を満喫しきれる自信もないし。休暇のあとのほうで時間を止めたなら、着火しないハクキンカイロのごとし、燃料は蓄えていたのに燃やしきれない、煮えきれない、くすぶりがジジジジとじしれったく不完全燃焼するんだろうなあ。
 悩む〜。

 どっちがいいだろう? 世間の人ならどっちを選ぶだろう? あなたなら、どうする?

 休みに入れば、初日は目覚ましをかけずに惰眠して、次の日は去年の年賀状を引っ張り出して、3日目曜日には大掃除。トゥリャトゥリャトゥリャトゥリャリャ→→。はてさて、どこで時間を止めリャいい?

 と、そこであることに気がついた。止めた時間にいるじぶんも、もしかして止まっているんじゃね? だとすれば、無駄な考え、下手な考え、休みに似たり。それに、どこで時間を止めたって、連続する刹那のコマ数に変わりはなく、コマ送りの途上で期待値が膨らみ、ピークに達したら萎んでいく。納めたはずの仕事もはじまって、また1から出直すことになる。

  いかん。ロクでもない思考の迷路に没入し、また時間を無駄にしている。今年も余すところあと4日。年内にやり切らなければならないこと山の如しではあるけれど、時間が足りん。今年もやることの持ち越しになるかな。来年の話をすると鬼が笑うというけれど、自嘲の嗤いが舌に苦い。放送業界で「わらって」は「片づけて」の意味だけど、やるべきことをわらって、笑って年末を迎えたいものである。

 いや、余裕をかましてる場合じゃないことは、よくわかってます。今からやりますよ! すぐにでも。

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