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アイドリング。

 すっきり乾いてよそ行きの顔をする武蔵野の朝と違って、本郷あたりの空気は少しばかり湿り気を帯びていて重い。都心ど真ん中からの距離感の違いが、離れた2点の差異を広げている。
 
 2点を区分ける線は、どのあたりに引かれていたのだろう。いや、本当は知っているんだ。明確に区切る線などどこにもなく、たまたま無作為に取り上げた2点を並べたら違っていただけだってことをね。変化は徐々で、徐々が徐々に徐々して、朝日がついには夕日になるように、2点を別物に見せかけているだけなんだ。
 
 それでも、都心から離れたところに在ったものはここにはなく、ここに在るものはあそこにはなかった。ここではさえずりのベースは影を薄くしているし、代わりに地鳴りの遠吠えがずっと街の地色を塗り固め続けている。
 
 1日が始まってしまえば時の重みに押され押されて流されてしまう朝の空論も、束の間の澱みは実はその日1日元気でいられる妙薬だったりすることがある。
 朝だけに「寝ぼけた戯言」などと鼻を鳴らすことなかれ。本人はいたって大真面目なんである。
 
 ただ今、未だ、今日という日の本番前の暖気運転中。それは、画用紙に定規をあてず、フリーハンドで引く雲のような横線を喚起した。

 そこで絵を描き、文を書き。


 じき鼻先の幹線道路で車の往来が始まる。フリーハンドで引いた線が、時の先で吐き出される排気ガスにつながっていく。

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