ゴールはソコと決めていた。
「いわゆる育児放棄されて、施設で育ったんですよ。
今でも月1で親に会いますよ。当たり前ですけど、母親のほうにね。向こうから会いにきてくれます。
父は母が縁を切ったって言ってました。俺がまだ小さいころの話っす。訊いても『大人の事情』としか答えてくれないもんだから、DVか浮気じゃないですかね。
父親の顔は知りません。これまで知らずにきたし、これからも知らないままですよ。痕跡もなければ、興味もないんで」
画面のインタビュアー、次の質問をぶつけている。マツはいつものように首を宙に傾げ、う〜ん、とひとつうなる。踏み石を3つほど踏む速度でヤツは自分の言葉を紡ぐ。これまでもそうしてきたように、テレビ画面の向こうでもマツは同じように3ステップで考えをまとめた。
「なかなか鋭い質問ですよね、それって。
今まで考えたことなかったけど、言われてみれば確かにそのとおりですね。
興味がないんじゃなくて、興味がないふうを保って、います。うん。確かにそのとおりだ。
考える必要がないことってありますよね。息なんがその例だ。誰も、吸ったから吐こうなんて考えちゃいない。息をする者は、考えなくても息をするようにできています。息をすることに煩わされることはありません。
立ってる人がいるとします。彼は立っていたいから立っているのではなく、なにも考えていないからただじっとしているとします。そんな彼の顔に緊張感はありません。表情筋は弛緩してだらしなくなっている。神経が尖っちゃいないから、近くに寄っても刺すものがないから誰も敬遠しない。
彼は無害です。警戒もされません。
敵対する者が現れないから、ややこしいことは起こりません。
俺は、雨にも風にも負けないだなんて、挑む気はさらさらないんです。
俺ものほほんと立ち止まっていたいんです。だけど、内面は違います。本当のことを言うと。煩わされるものがなくてのほほんとしているのじゃない。だらんと弛緩しているのじゃなく、皮膚の向こう側で戦争を始めているんです。進もうか下がろうか、はらわたの戦場では白組と黒組が戦をしています。勝敗の決着をつけようとしてね。脳味噌はこのように、一生懸命汗をかいている。
だけど内側からそれが出てくる時、皮膚がそいつらを浄化してしまうんです。皮膚というトンネルを抜けると、もこもこでふんわりの雪国の景色みたいになってしまう。そのように仕向けていますから。
意図はオクビにも出しません。きょろきょろ見まわすこともしません。そんなことしたら、ばれてしまうじゃないですか。終始だらりんを装って、でも見なければならないものはしっかり見ている。目ん玉にはどしんと腰を据えてもらったままでね。
顔に出したらおしまいじゃないですか。あ、あいつ、本心は違うぞって勘ぐられてしまう。
人って勝手なものじゃないですか。刺激を受けると、都合のいいように解釈してしまいます。放っておくとエスカレートしちゃって、解釈を押しつけられちゃうことがある。『アンタはこういうヤツだ。違うか?』みたいなことをね、平気で強いる。
苦手なんですよね、そういうの。
だから、人の目を引かないように、無害になる。刺激を与えなければ波風立たないから、人は俺を眼中に入れることなく通り過ぎる。
煩わされるのが好きじゃないから。
このようにして、実は父親のことを考えている。押さえ込まなきゃならないと両手を上から、こう、漬物石みたいに父親像の頭に乗せて押さえつけてる。浮き上がって来ないようにね。
あなたも俺のこと勝手に決めつけたけど、でもそれ、合ってると思う。
ということをインタビューで取りたかったんでしょ?」
カメラ、パンしてインタビュアー、アップで映し出される。
ーーというわけで、本人への直撃インタビューでした。
相続権によりお母さまの松山たか子さんには半分の12億円が、残りの半分はご本人の意志により、先般お伝えしたとおり、全額児童福祉施設に寄付されることになります。
「相変わらず冴えないツラしていたな、マツの野郎」
「僕はマツさんが孤児院にいたなんてこと、知らなかったですよ」
テレビを消しても、マツの話題は途切れなかった。
ほどなくしていつもの飄々とした風貌で、マツが夜勤の守衛室に姿を現した。マツは、落としてきたため息を拾うように大きく息を吸い込むと、息をするのにさえたまに煩わされることがあるんだよとでも言いたげに、気だるさに世の無情の嘆きを混ぜて、それても律儀に「お疲れさまっす」と、全員をひとくくりにした挨拶を吐き出した。
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