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心待ち。

 人はいつの時代も物事を自分のいいように解釈してきた。春秋がなくなったと「チ」と舌を鳴らしたのはつい最近のこと。なのに冬が終わりそなこの時期に、梅や桜を心待ち、ウグイス啼くのを今日か明日かと心待ち。
 春の欠落に臍を噛んだのはいつの日か。
 
 地球沸騰化はいつの日か。いずれどんどん上がってくこのままじゃ、いつの日か海水浴は海泉浴になっちゃうよ。四季は『加減の夏』から始まって『上限の夏』、そして『抽象の夏』を経て『底夏』に終わる。底夏は今で言う冬のこと。
 夏の常駐、常夏のハワイと違うのは、どんどん上がってくを放っておいた『上限の夏』は、通の温泉フリークしか海泉浴がかなわない熱湯地獄。常人はもはや海にも熱くて入れない。
 ああ、次の氷河期心待ち。
 
 空想サイエンス・フィクションは、いつだって「こうあればいいな」をカタチにしてきた。車は都市の宙空パイプを走り、頭脳はアトムを追い越した。
 今や「狭い地球、そんなに急いでどこへ行く?」なんだもの。金星不動産、火星別荘も近々販売の運びとなるらしい。賃金もこれから上がりそうだし、いよいよ宙外に進出か。
 かつては海外行くのも憚れるほど円安に苦しんだって言うのにね。日銀さんの鎖国政策が懐かしい。日本の長崎化はもしかして最後の楽園だったのかもしれないよ。有金叩いて出島に行って、一世一代の大冒険ーーそんなちっぽけな夢に大きく期待で胸を膨らませることができたんだもの。

 スケールが桁を超えて巨大化した現代は、何をやっても感動希薄。なにもかもが骨格見透かすスケルトン。規模の拡大はもしかして、水で薄めた味の出ない水彩絵具だったのかもしれないね。
 躯体は小さくても、中身の濃さで勝負の餡増し増しのたい焼き、心待ち。そんな濃ゆい自分時間を心待ち。
 
 人は駆ける足に鞭打たれ、「働けよ、働けよ、君が暮らし、楽にするため」と虚を吹き込まれ、今じゃゴールの見えないマラソンを走りすぎて息も絶え絶え、命の出涸らしになっちまったよ。
 こんなんで幸せ領域にたどり着けるの?
 問うても誰も答えてくれぬ。幸せは自分の中にあるのだよと、自己責任ばかりが増えていく。
 
 サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ、と歌った昭和歌謡の時代が羨ましい。無責任男が大手を振って歩いても、だあれも咎める者はいなかった。かえって気楽な稼業に憧れを膨らませていったあの時代。
 昔、中島みゆきは「ああ人は昔むかし、鳥だったのかもしれないね」と歌ったけれど、人が鳥だったのかもしれないと意識し出したのは昔ではなく、ごく最近のことなのかもしれないよ。意識したことはなくても、かつて人はみんな社会に羽ばたき、仕事で飛翔していたんだぜ。間違いなく人には翼があったんだ。なのに今じゃ飛ぶための翼は鍵をかけられ制約のうちに畳まれてしまっている。

 いつの日も絶えることなく羽ばたく鳥でいよう。そんな歌が聞こえてくる日を心待ち。

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