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「読む」道のり。

この先どうなっていくだろう? 先を急ぎたくなる「読む」がある。

この表現あり? スクショしたくなる、その手があったか「読む」がある。

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「読む」にもいろいろあるけれど、衝撃的だったのは、読み終えることが辛く悲しい「読む」だった。

「あ、あと8ページで終わってしまう、どうしよう」
淋しさに包まれたなら最後、すでに『読み終えるのが惜しくなる術師』の策にはまっている。

読み終えるのが惜しくなったら、覚悟を決めていったん本を閉じる。
見ないように閉じたのに、机上に佇む本が気になる。

どんなエンディングを迎えるのだろう?
本当にあと8ページで完結するのかな?
読み終えるのが惜しいと感じた本はこれで何冊目だっけ?

かくして読み終えるのが惜しい本の読破を引き延ばす。少しでも長く、読み終えるのが惜しい本を味わうために。

だけど、あんまり間を開けてしまうと、記憶の襞にしがみついている物語の断片が剥がれ落ちてしまう。
読みきってしまいたい。
だけど読みたくない。
痛し痒しのやりとりが、葛藤する。
どこかで折り合いをつけなければならないことはわかっている。

読み始めれば、ひと息で物語の焔は吹き消されてしまう。だってあと8ページしか残っていないんだもの。

だいじょうぶ、と暗示をかける。これまでだって、読み終えるのが惜しい本を読破してきたんだもの。今回も、できる。

机上の本は、もったいぶるわけでも誘惑するでもなく、ただそこに、人の気持ちなどどこ吹く風の体で佇んでいる。

ええいままよ!
気合いを入れるも、ちょと待てよ。待てば読路の日和ありではないのか?
いや、ここは海ではない。
だけど読書はある意味、航海に似ていることだし。
うだぐだ。
こんなことで迷っていても仕方ないんだよねと、ある時思考がショートを起こす。
いつもの癖が出る。
ぱらぱら。
ページをめくるだけのつもりが、読み終えている。

このようなとき、きちんと悔しがればいいのだろうか。達成感が「無」を描き、ため息が落ちる。


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