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stimulation(刺激)。

 お膳立てがあるだけで筋書きのないスポーツというドラマにならい、同じ轍を踏んで小説が描けないかと考えた。読む先々で、次の展開がどう変わっていくのか、読んでいるのに読めないスリルがたまらないものに仕上がるのじゃないかしら。
 どう、こんな小説。

 問うと相棒は、人を見下すほどの呆れ顔。
「それっておまえ、物語の舞台に上がる人物を真剣に考え込んでないだろう。
 野球にしてもサッカーにしてもレギュラーがいて補欠がいて、監督にコーチに、配役それぞれが独自に振る舞っていくから話が散らかったりまとまったりして油断できない面白さが出てくるわけさ。そんな奇想天外、突発事件満載を予感させる世界をひとりの創作者が創り出せるとでも思ってるわけ? どうやって展開する先々で不慮の事案を引き出すのさ? それに書き終えた時点で、どこに転ぶかわからない予測不能な物語▼▼▼▼▼▼▼ではなくなっちまうんだぜ」
 たしかに。
「それにだ。出演者全員の個性を設定したとして、それぞれの個性を伝えるために、ひとりひとりに何かやらせたり、喋らせなければならなくなる」
 そうだけど。
「つまり、おまえが筋書きを固定化させていかなきゃならなくなる」
 たしかに。
「となれば、描き終えた時点で変幻自在に変化する物語ではなくなってしまうんじゃね?」
 なるほどねえ。おっしゃるとおりだわ。鋭い指摘に感心していると、ハシゴを外された。
「いや、例外はあるか」
 おやっ? ということは。望みは残されてるっていうわけね。で、その例外ってなによ?
「お膳立てを含めてプログラムしちゃえば話は別だ」
 どゆこと?
「だけどそれはもう小説じゃない」
 そうなの?
「ゲームだ」
 まあ、ね。もう小説じゃなくなってくる。
「そして君はゲームのプログラマーじゃない」
 言われるまでもない事実だわ。
「それに、小説家でもない。小説家が主人公のドラマを観終えた美術館のキュレーターだ」
 たしかにそうだけど。
「日々の仕事にマンネリ感じ始めてない?」
 何が起こるかわからない筋書きのないドラマは、創作するまでもない。みんなそれぞれの生きる場で、日々繰り広げているんですもの。
 

【現実は奇想天外な物語】

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