見出し画像

 比較級で生きてると、しんどい。絶対価値で立たないと。でないと、足場探りの手探り狼狽。
 他人と比べて自分は……測ったとたん、魂は無限徒競走に駆られてく。僕はボク、貴女(貴方)はアナタ、君はキミとして在らなれば、つかめない影を追いかけ続けることになる。肉体をココロが追い越して、そのまま納得点を見落として、躍起ばかりが際立ち抜きでて、焦燥出でて、息を切らすことになる。

 魂は、しがみつきの過去じゃなく、絵空事の未来にでもなく、この瞬間ごとに迫り来る秒針の波、その先端に乗っていなければならない。

 他人軸がどうあろうと、それら個々の存在は認めても、そこに我が身のポテンシャル・フィルムを重ね、いちいち間違い探しをしてはならない。自分より優れた点を発見しても、それは羨むべきことじゃない。同情その他憐れみ含む感情を抱いても、蔑む事でもない。嫉妬軸、優位軸をいくら助長させたって、自らの救済軸はちっとも成長しやしない。

「比較」は、無責任なまやかし。

 主軸を見誤ってはならない。僕はボク、私はワタシ、君はキミ。それぞれの軸足は空想上の虚像でも、他人のそれと安易にすり替えられるほどヤワなものじゃない。
 僕は貴女になれないし、君が誰かになりすませるわけでもない。魂はいつだって個々それぞれの欲求に支えられ、個別に認識できるようになっているんだ。

 そそのかされてはいけない。錯覚もタブー。自分の足で立つことを確と意識し、樹立せねばならない。

【確固たる樹立。そういう十字架を背負っている】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?