自分の原点について考えたことってある?
夏休み。
「若い頃は、毎朝通ったもんじゃ」とじいちゃんが言う。
懐かしさに細めた目を覗きこむと、向こうのほうにちょこんとガキンチョのじいちゃんがいた。
「ほとんどハンコもらいに行ってたみたいなもんじゃ」
主語がなくても、わかる。でも何をしたのかがわからない。大事なところの欠落は致命的だよ、おじいちゃん。
「皆勤賞でもらえるもの、なんじゃったかの」
ははん、わかったぞ。それは、、、。
「んん? 忘れてしもうた。年をとると、いろんな記憶が落っこちていく」
それでもガキンチョの姿は鮮明なんだよね!
「行けん日もあった。間に合わなかったのじゃ」
寝坊しただけじゃん。
あ、ガキンチョのじいちゃん、あわててる。
今にも泣き出しそうな顔をして。
そんなにご褒美ほしかったの?
「でもな、次の日に行くと前の日の分までハンコをもらえたのじゃ」
あのころの大人はひとまわり大人だったんだね。
「ずいぶんやってないけど、明日の朝つき合ってやろうかの。夏休みのラジオ体操」
翌日。
町内会の朝の行事に集まる大半はじいちゃん、ばあちゃんになっている。
肉体は成長を極めたけれど、気持ちは子ども。細まった瞳の奥にかつての自分たちがいる。そこから、ひとまわり大きな大人を見つめているんだろうな。
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