たまに児童書を読む。読み返す。
たとえば『モモ』みたいなやつ。
児童書読書の道の途中、ふと『北風と太陽』が頭に浮かんだ。凪の空気の小春日和の縁側で、北風とは無縁のはずなのに、ポカポカ太陽が記憶の扉に手を伸ばし、スイッチを入れたせいかもしれなかった。
物語で太陽と北風は男女平等みたいに対等で、名勝負を繰り広げる。めくるページごとに幼い期待感はいやがおうにも盛り上がったことを思い出す。
だがそれも、期待感がまだ蕾のように小さかった時のこと。
大人になると、知識の器がデカくなる。その大きくなった皿の上に太陽と北風を載せてみたら、ふたりの規模が違いすぎた。
勝負の行方は一目瞭然。
物語をこき下ろそうとする魂胆は微塵もない。知れば、違う側面から物事を凝視できることを言いたいだけなんだ。
知らないでいるより、知ってるほうがいいに決まってる。
キミにもボクにもわたしにも、きっとこれからもいろいろ知れる。だって我らは地球が回転していることを突き止めた生き物の末裔なんだもの。
わたしたちの知識欲は、開拓翼であり知識翼。知の羽ばたきは、これからも、さらに大きく、貪欲に。
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