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奇抜は現実空間で「ふつう」に落ち着く。

「キミのクラスの出し物は何なんだい?」
「『三惑星と三日月の三角関係』という創作劇。作り物をかぶったら気が重くなっちゃった」(実際重いし、これじゃ歩けない)

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 遅ればせながら『夜は短し歩けよ乙女』(森見登美彦)を読んでいる。いつものことながら読み終えてはいない。八合目あたりまで登り、頂は見えてきたものの、読中感である。
 読み終えていないから、日々の現実と寄り添いながら物語が進行している。小説には物語を支えるいくつかの柱があって、奇抜でふしだらで出鱈目な学園祭は物語の中核ともいうべきもの。その小説の学園祭が、日々の暮らしの片隅に進行形として居座っている。
 目を本から現実に移せば、世はまさに学園祭シーズンであった。
 学園祭には思い出もある。他校の学園祭に足を運んだこともある。小説舞台で不思議で諧謔かいぎゃくな学園祭を覗かせてももらっている。現実と空想が入り混じり、いろんなタイプの学園祭が去来しては『ふつう』の世界から逸脱していく。
 物語の中で黒髪の乙女は緋鯉のぬいぐるみを背負い、学園祭の出し物のひとつ、ゲリラ演劇で重要な役割を担うことになった。
 小説の中で演劇は虚をつき続ける出し物であった。

 そこで。
 ふしだらこそ描き込めなかったが、奇抜で出鱈目な学園祭の絵を描いたら上記のようなものが現れいでた。

 仮に学園祭で企画を立てることができたなら、奇抜ラインを狙うだろうか。
 想像するだけなら、どれだけでも現実から遠ざかることができる。現実にストンと落ち着けば「ふつう」に戻ることを知っているから、空想はしがらみをハサミでチョキンと切り離しーー糸を切った凧となりーー。

 秋の夜長、空想は膨らむばかりだけど、読み終えなきゃ。次の「読む本」が待っている。 

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