幸せ製造機。
人が構築してきた道だもの。サイズ違いの服と似て、しっくりこないこともあるだろさ。他人が作ってきた柵だもの。きこりが初めて口にする海鮮と似て、衝撃受けることもあるだろさ。だけどぼくらはくじけちゃいられない。辛さ、苦しさ涙に明け暮れてばかりじゃいやだ、だめだ。すすめ。
人は文化・文明の名のもとに、意識・知識の世代間リレーでここまでやってきた。ひょっこりひょうたん島の住人と違って孤島で完結できるならいざ知らず、見ず知らずの他人の汗と涙のおかげで、電気も水もケータイも菓子も享受できるようになっている。
幸せがおのおのの心の中にしかないのはね、誰も幸せ自体を作ってこなかったからなんだ。幸せを商品化してこなかったんじゃない。幸せは商品化できないものだったからさ。作ってきたのは、幸せになれるであろう道であり、物であり、虚像だったんだ。
お膳立てできているっていうのにさ、据え膳食わずにいじけているようじゃダメだね。貪っていいんじゃないの?
いじけは甘え。誰だって幸せになりたくって齷齪しているんだから、そんな必死に水を差すことしちゃいけないよ。自分のケツは自分で拭わなきゃ。それにね、先を行く誰かを羨んで他人の足にしがみついているようじゃ、未来永劫、古今東西、紆余曲折したって、ない袖から幸せは出てこない。
据え膳を貪ることだよ。歯を食いしばって食らうことだよ。得意な分野、好きな分野、許容できそうな分野、どれでもいいからその時に選べるものを選んで、食らいついていくことだよ。そうすれば、幸せのしの字が見えてくる。さらに一歩踏み込めば、次のあの字が見えてくる。
そうやって人は幸せになっていくんだよ。
せいぜい、幸せになるがいい。幸せをひとつでも多く、少しでも大きく育てられれば、幸せを他人に提供できるようになる。幸せは、お裾分けができるようになったらしめたもの。あとは、吹く風にまかせて大きくふくらんでいくのを待てばよい。
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