見出し画像

クマゼミに非はないのだけれど……。

 くまモンが全国区に広がったせいじゃない。熊の出没情報が増えたせいでもない。東京にクマゼミが増えたのには、違う背景がある。

 百科事典が全盛だったころ、クマゼミは九州地方に棲息する日本最大のセミだった。東日本に住む愛蝉家は、その大きさに胸躍らせて夢ふくらませ、奏でる鳴き声を陶酔の流れに乗せた。
 そのクマゼミが、桜前線をたどるように北上し始めることになる。桜前線と違って駆け足で国土を駆けたわけではないけれど、牛歩の桜前線のように年月をかけ、毎年少しずつ、北へ北へと上がってきた。

 10数年前、東海地方まで侵攻してきたクマゼミを、旅先の静岡で可視的捕獲した。表現をシンプルに変えると、見た、ということになる。聴覚的捕獲も実現した。シンプルに言えば、聴いた、ということだ。
 クマゼミは、日本においてセミの王様ということになる。カブトムシでたとえると、世界王者ヘラクレスオオカブトみたいなもんである。
 視覚的聴覚的遭遇で素直に感激すればいいものを、最初に脳裏をよぎったのは、期待に水を差すものだった。
『チョコレートのキャッチコピーのようにはいかない』だった。
 昭和のころ、森永製菓は自社製品の宣伝文句に「大きいことはいいことだ」と謳った。だけど、旅先で網戸にとまったクマゼミは、確かに巨大で堂々としてはいたけれど、容姿の黒光りは闇夜のガサゴソに似ていたし、その声の騒音具合といったら!
 ワシャワシャ、ワシャワシャ。
 セミなのに、五月蝿すぎ!
 誰だ、そんな声で鳴くやつは。
「ワシや、ワシや」と自己主張も甚だしい。

 そんなアイツが今では東京で我が物顔で鳴く。

 初めてミンミンゼミを捕獲したとき、その容姿の美しさに見惚れた。八頭身のボディ、透明の羽を纏う緑と黒の鮮やかコントラストの色彩、名を表す鳴き声。まさに完璧なセミだった。そんな感激体験があったものだから、つい。
 世の中には、理想を追いかけているうちが幸せなことって、ごまんとある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?