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遠き日、意識が目覚める日。

 ラジオをつけたまま眠ると、朝の目覚めと共に『音』なり『音楽』なり『声』が意識と符合する。聞こえていなかった時間帯が睡眠であり、音を頼りにすることで眠りの始終点の可視化が始まる。息をするものの多くは、睡眠を理屈の枠に押し込むことなく、なるがままに眠っては目覚めていくものだし、自分とて例外ではなかった。
 可視化へ走ったのは、目覚めの朦朧が魂の所在をゆるがしていると意識したことによる。我が身は生きているのか死んでいるのか夢心地、そのどこでもない居場所が蛇足と思えたからだった。

 永眠という眠りがある。永とは永遠の意味がある。かたや永らくの意味もある。永久と思われるも実は永い眠りなら、失意識の先に意識が再び現れないとも限らない。悠久の時間を過ごしたのち目覚める。となれば、どうなるか。肉体は魂ほどタフではないから朽ち果ててしまうけど、器の問題だとしたらどうにかなりそうな気もする。ただ、あまりに永い歳月を要してしまうとすれば心配事も多い。そのひとつが記憶の経年劣化である。
 多くの転生者が前世をよく覚えていないのはこのため。記憶は風化するものなのだ。
 ひとつ、大事なことを言おうと思う。前文で転生という言葉を使ったけれど、これは理解への便宜的弁証法。正確には転生ではない。魂の輪廻でもない。深く濃く永い眠りから目覚める、ひとつの生命線上に起きる一連の出来事の1イベントなんだ。

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