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『小音場」

 うちの文字変換くんには、ときどき困らせられる。
「そうじゃなくって」
 苛立ちが、つい、声のトリガー引くことも。
 だけど変換くんは聞く耳を持たない。さらっと澄まし顔でまた悪戯いたずらを仕掛けてくる。

 あるとき「ことば」と打って変換くんに考えてもらった。すると返ってきたのが『小音場』だった。どうやら母音をひとつ余計に与えてしまったらしい。

 ん? となると、これはよもやよもやの人為のミスかもしれん。それともkeyの気まぐれ誤作動か? 変換くんのせいかどうかの有耶無耶暗雲に包まれて、しばらく打ち返された言葉に見入ってしまった。

『小音場』
 
 偶然の賜物、連なる文字に意味を辿り、身勝手解釈の調べに耳を澄ますと、ふっとストリングスの弦がゆるんだ。顔も連れて弛んだ。おみごと! ほどじゃないが、変換くんとのコラボの結晶。悪くない言葉じゃん。

 そもそも言葉というもんは、伝えるべき真意の枝葉が揺れてこすれて奏でる階調。そして、伝えるべき真意のかすかな葉擦れ音を聴く音場。それが『小音場』なるところ。といった解釈でいかがだろう。

 変換くんにはこれまで主従の「従」を担ってもらっていたけれど、このときばかりは主役の座を貸してあげてもいいかなという心持ちになるくらいの仕事ぶり(変換くんの仕業かどうかは特定できないけど)。

 並んだ三文字に、心酔の間があった。
 間は、ぬくぬくの布団の中みたいで気持ちよかった。
 心地よさがすぎるとつい寝過ごしてしまうように、つい長居してしまって、「ことば」と書いた先に続くはずの本分の本文、その行き先を見失ってしまった。
「ことば」に続く文章、何を思い描いていたんだっけ? 続きがフェルマータに導かれて掠れていって、先にあった当初の文章軌道が霞んで消えた。


 仕方がないから、しばらく小音場という停車場に佇むことにした。陽だまりで瞼を閉じて、安堵の息をなだらかに吐き出し、流し出した温水のような空気を再び吸い込んでいるようなゆるくぬるく柔和な調べの中にいた。
 小音場では、安寧の息擦れ音さえ重奏者として迎え入れられ、溶け込んでいく。


 途中下車した寄り道駅の、小音場で流れた旋律を、一葉の絵に閉じ込めてみた。

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