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時間に生まれる。

「わたしはどこから生まれてきたの?」
 
 訊かれて困る質問がある。大人になると、なまじ知識を得てるから、あまたの回答から最適を探すのに時間がかかる。その中で「口にしてはならぬ」選択があって、意識すると、かえって頭内で反響しちゃったりして「困る」に拍車がかかる。

 学校の先生なら「いい質問だ」と、投げかけを騎射で的を射るごとく教師特権で宙に浮かせ、終業のチャイムまで引き延ばすこともできようが、逃げ場がないと大人でも子どもに対し窮鼠になって冷たいい汗を滴らせる。
 
 心の声が「答えにくいことを訊くな」と叫んでも、煙に巻く一瞬の好機を見逃してしまってからでは後の祭り。
 
 さて、前置きはこのくらいにして、「私たちはどこから生まれてきたのか」の今日の回答。
 
 契機は、生まれ出でたその時を思い出したことだった。考えるには至らぬ未熟な頭脳は、心と呼ばれるチャンバーで規則的な刺激を確かに感じた。あれは、時の流れる音だということに気づいたのは、言葉という絵の具で事象をカンバスに写し取る術を知ったとき。
 
 生きとし生きるものは、時間に生まれ出る。

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「おまえも、私も、タマも、ポチも、無時間から生まれてきたんだ」

「?」

 幼き頭ではわからないことも多々あるだろう。
 学び、考えよ。繰り返せば、いずれわかる。
 
 そして我らはすべて無時間に戻っていく。 

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