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夢と現実。

 AIはAGIを経てASIに進化するそうだ。AIの真ん中に割り込んでくるGはGeneralで、SはたぶんSuperなのだろう。黎明期が一般化され、人智を超えていく、という手順を踏むわけだ。世の人々が危惧するAIの脅威がこの「人を超えるASI期」にある。 

 なぁんだ。まだ先のことじゃないか。
 呑気にかまえていられる今のうちに、人生を謳歌しておかなくっちゃ。
 なんてこと、今の時代には似合わない。悠長なことを考えているうちに、置いてけぼりを喰らわした亀に追い抜かれてしまう。ケータイだって、型落ちで安くなってからとのんびりやってたらバージョンが古く、最新アプリに対応できなくなっていたり。社会の激流から離れたところで隠遁生活しちゃったら、あっという間に浦島太郎だ。

 書き溜めたデジタルアートが2000点を超えた。ま、好きで描いてるから趣味で完結。そう思っていたのだけれど、人ってのは欲の枯れない生き物なんだね。ある詐欺がきっかけで、画像のNFT化を始めることになった。
 NFTを直訳すると非代替トークンと、これまたわかりにくい言葉に置き換わることは前回の原稿でも触れたことだが、要は無尽蔵に複製できるはずのデジタルファイルに著作権をつける技術。デジタルで描いた元のイラストは原画として証明してくれるというものだ。
 権利を証明できるデジタルファイルはイラストばかりでなく、写真や音楽、動画やゲームにも使われており、その進歩は目覚ましい。ある運営会社のトラフィックが混雑のため滞り始めると、快速の技術で動かす新手の運営会社が現れたり。AI世界だって、いつASIに置き換わっても不思議ではないほど世界は高速で動いている。

 疑問もある。描いたイラストに価値がつくのはたいへん喜ばしいことなのだけれども、無料でぽんぽんアップしているこれらイラスト作品がある日突然、売れてしまったら、どこに絶対価値があるのかわからなくなってしまう。見てくれる人に『くすっ』なり『むっ』なりを感じてもらうことに置いていた重心が、ある日換金されてしまうことになるのだ。これって、人の命をお金で買うのとどう違うのだろう?

 バンクシーのように名がつくことで影響を波状に広げられるのなら話は変わってきそうだが、凡人の作品に価値がつくと勘違いが天にも昇る儚い夢を抱かせる。あるいは経済社会は新たな金蔓を探しており、その罠にはめられながら多少の利益で誤魔化されて循環社会を果てしなく走らされることになるのだろうか。

 二律背反、ここでもまた一生涯交わることのない二本の芯を同時並行的に内面で走らせながら、踏み出さなければ進まぬ歩を明日に向かって繰り出している。売れるはずのないイラストを、手数料(gasと呼ばれるシステム運営料)のかからない『Rarible』にアップしながら、夢と現実を交互に見比べる昨今である。





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