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歩み、牛歩でも。

 スケッチブックを撮ったなら、用紙を束ねるスプリングがくるくる回っておりました。デジタルになる前の映画のフィルムみたいに、回っていっては日めくりめくり、物語のコマを進めます。
 一生という大きな起承転結のカゴに収められた、日々の小さな起承転結の物語が連綿と積み上げられていくのでありました。
 あれ? 描かれた絵はなんだか透けているものが混じっているよ。それもそのはず、半透明なのはこれから大人に育っていく半人前の起承転結予備軍でありまして。
 その中でその日限りの今日の起承転結は、今1日のどのあたりに差し掛かっていることでしょう。
 この進み具合なら、【承】のあたりかはたまた【転】か。目視であたりをつけたなら、これから何かが起こりそう、そんな予感がありました。

 くるくるくるくる、物語はパラパラ漫画のようにめくられて、今日という日を描いては、色を塗っては彩られ、たまにこぼしてシミとなり、はねて散ってはブラウスに鮮度の高い水玉模様、そんなこんなで積み上げ人生、その螺旋階段を登ってく。

 そういえばスプリングも螺旋構造。スケッチブックは人生を映して今日もめくられて、道筋つくっていくのでありました。1枚仕上がるごとに、大人の階段ひとつずつ上にあがっていくのでありました。すらすらとさらさらと描き進めては、上っていくのでありました。頭上のゴールを見上げ、希望に向かっていくのでありました。

「いつから絵描きになったんだっけ?」
 と友が訊く。友は、現実主義者でありました。
「いいじゃないの。夢はいくつ見ていたって。今は画家への道半ば。半ばというほど進んじゃおらぬが、道の途中でありまして。それを半ばと言えるなら、これもまた半ばでありまして」
 先月は先月で夢中になったものがありまして、田舎移住の夢を追っておりました。今月は今月で、画家への夢を追っておりまする。

 変化もありましたさ。絵に、田舎暮らしの願望が加わってきているのでございます。夢は夢を呼び、つながって、昨日より少し進化しているのでありました。

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