「幼馴染をつくる」計画継続中。
函館に、幼馴染はいない。
だから帰省するたびに、幼馴染作りに励んできた。
足を運べるところは限られているけれど、開拓も怠らないし(好奇心が強いだけ)、止めることのない足で別の違うところへ向かっていく誰かと刹那の言葉を交わす。
同じ顔に会いにいくこともあれば、違う顔がやってくることもある。
鳥は森で共存し、空ですれ違う。そんな感じ。
中国から来た女子大生2人組に、熱帯植物園で「ホテルに帰りたいんだけど、場所を教えてください」と訊かれた。
ん?
指されたマップは湯の川温泉。
「乗ってく?」
歩いて5分の距離を、レンタカーでドライブした。
話せたことは数呼吸ぶん。内容は内緒。
ともえ大橋の上で、駆る電チャリの足を止め、景色に見入る老人に声をかけた。
「いい自転車ですね」
パナソニック製5段変速を外装したスポーツ車。
最近買ったのだという。
85歳と彼は胸を張った。
電チャリ散歩は日課。
このように1回こっきりの出会いもある。
何度か訪ねているのにいっこうに他人のままの出会いもある。
深くなる出会いもある。
空まわりもあるけれど、噛み合うギアもある。
幼馴染づくりは終わりのない目標だ。
だとすれば、遅々として進まなければジレてくるのも道理。
なのに焦りはない。
なぜだ?
理由にはすぐにたどり着いた。
僕はすでに幼馴染づくりをしていたからだ。
函館で生まれ、早くに去ったことで当時の友だちからは忘れ去られたけれど(辿っても糸口すら見つからない友も何人かいるのだけれど)、越した先で、幼少時の記憶を共有しない友とそこから幼馴染を紡ぎ始めていた。
それが芯となって確立していたからだ。
今でも続いている。
土台があるから焦らない。
そういうことなのだと思う。
新潟の友は、離れていても息遣いを感じる。情報化社会がもたらした結びつきは、湿った郷愁を乾燥剤の効いた晴れの舞台に引き上げ、相手の都合をこじ開けることなしに伝えたいことを伝えられる。俯瞰すればどうでもいいようなことが都合をこじ開けられることなしに届けられ、他愛なくほっとしたりする。
函館と新潟との間にある仙台には後ろ髪をあの波に引かれたままだけど、生きていればこれから先、つながるチャンスはやってくるだろう。
今は、それを信じるしかない。
函館での幼馴染作り、ブランクができてしまった。
と思っていた。
でもこの1年の軌跡を振り返れば。
知りあってつながった顔の息遣いがネットを通じて聞こえてきたし、新しい声が届き始めている。
なるほど。
函館に芯が形成されつつある。
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