小説「身も蓋もないものども」(冒頭)

プログレッシヴ・ロックバンド「イエス」が1972年に発表したアルバムは長らく『危機』と訳されてきたが、これをもっと即物的に「端の方に近く」と直訳してみてはどうだろうか。魔理沙に初めて会ったとき、彼女はまるで私と会うのが35回目くらいの調子でそう熱っぽく語ってきた。聞いてみればその言い分には頷けるところもあったが、「プログレってわかる?」的な話もいっさいなくいきなり核心に飛び込まれたので、私は面食らった。彼女は「私10代の時はウニ理論とかチョロQ理論とかいうの程度しか作れなかったんだけど…」と前置きし、それらの理論がいったい何なのかは全く説明しないままに自説を展開しはじめた。
「「フェイストゥフェイス」の問題、つまり人が顔と顔を対面させてるって状況って、つまるところシンパシーなのよね。安心…。背中がただ見えるだけで問題提起なのよ。顔に対して挑発をかけているっていうか。ストローブ=ユイレの『あの彼らの出会い』っていう、チェザーレ・パヴェーゼが原作の映画があって…。背中しか映らないから、観客は最初どこを見たらいいか不安なんだけど、それによってだんだん背後の木の葉っぱの揺れとかそういうものが目に入ってくるのよ。で。つまり「サイドバイサイド」っていうのは背中で語ることなの。本当の連帯ってここに存すると思うの」
ここで彼女が「存する」という言葉を使ったことははっきりと覚えている。大仰な回顧を許してもらえるとするなら、この瞬間に私は彼女と一生暮らしていきたいと直覚した。魔理沙の喋り方はあきらかに他の人とは違っていて、話が次から次へポンポン飛んでいくし、脈絡が掴みづらい。だがそれはまったく出鱈目なのではなくて、よくよく糸をたぐり寄せていけば確かにそこに一本のラインを見ることできそうであった。と同時に彼女はこれまで誰からもそのたぐり寄せをされたことがないからあんなに野放図に喋り散らかすのだろうとも推測できた。魔理沙は続ける。
「アンダーソンもハウもスクワイアもブルッフォード(彼女はブラッフォードでもブルーフォードでもなくこう言った)もリックマン(これはリック・ウェイクマンのことだろう)ーー別にホワイトでもレヴィンでもいいんだけど…ーーみんな孤独なの。お互いもそうだし、こっち、お客にも直接語りかけてない。強いていえば50年後の人類に語りかけてるの。まだタイムカプセルが開いてないわけ。私たちリレイヤーってことね。ジンジャーエールの辛口って辛いっていうか、こう、あれだよね、いいよね」
魔理沙の話がまた飛びそうになったので、集中していた意識をふっと脱力させた。そもそも魔理沙の人生の一部に「巻き込まれる」ということ自体、こちらの安定した語りや説明を放棄せざるを得ないこととひとつなので、魔理沙について語る時は極力いきなり渦中から始めたかった。プールの前でオイッチニーと準備体操をする前にまず突き落とす。この場合突き落とされたのは私なのだが。28歳で定職もなく、漠然とライターのようなものを志望していた私にとって、魔理沙で何か書くというのはずっと念頭にあった。こんな花火のような女の子は私の地味な人生には存在しなかったし、それに私が彼女をつなぎとめるもやいになれるかもしれない、というような二重の打算もあったかもしれない。もっともその総体を「一目惚れ」という形で括る勇気がないだけと言われれば、そう認めざるを得ないのだが。魔理沙はカフェのあと私を自室に呼んだ。
「「表現」ってことをしっかり考える必要があると思うの。概念として。語義的な意味でexpressionのexは「外に」でpressは「押し出す」よね」
大井町線の中でもこういった話をぶち続ける魔理沙をよそに、私は正直言って性欲が高まってきていた。自由が丘の駅から、どこの駅で降りるかも知らされずにこの路線に乗り込んできたので、次で降りるのか、いや次かと考えているうちにだんだん彼女の身体に目がいってしまったのだ。性行為など5年以上していないので、ひょっとしたらこのあと何かあるかも…と、そんなことは微塵も考えてなさそうな魔理沙の肩を見ながら思った。彼女は白いシャツの上に黒の何かを着ていた。何かというのは、私の語彙にあるところの「チューブトップ」と言われるような形状のものをシャツの上から着ていたのでそれはおそらくチューブトップではないのだが、とにかく上に着るチューブトップのようなもので、それを今になって調べる気にはどうしてもなれないのである。それよりも彼女との顛末について早く記したい。いや、性急に書き終えてしまうのではなく、彼女と交わした一言一言をもう一度辿り直すようにしながら。それがどうしても必要に思われる。
「ここよ」
結局彼女は等々力という駅で降りた。今から思えば私の性欲亢進タイムはたった3駅分だったことになるが、あの時はそれが永遠に感じられた。魔理沙はパスモを持っていなかった。「監視されたくない。大っ嫌い」と後年言っていた。「大っ嫌い」の「っ」の言い方に彼女のすべてが現れている。彼女はよく「ばっかみたい」とか「ばっかじゃないの」だとか言うこともいい、私はアニオタではないが、その手の需要というかそういうものもありそうだと感じていた。魔理沙はとびきりの美人であると私は思う。目は真っ黒な二重で、白目の中に黒目が目玉焼きのようにある感じ。ギョロ目というのだろうか。彼女を記憶する人はまず目で覚えるだろう。鼻筋は通っていて、口は小さい。駅からの道を歩く中、また彼女が喋っていた。
「ましてやその背中が遠ざかっていくことは双方の孤立を意味するよね。共感の論理VS孤立の非論理(ヒ・ロンリとしっかり区切って発音した)。共感の論理を支持する人は結局、同じ共感の論理を支持する人と連帯することで自分の完全性をいよいよ高めて、誇るわけ。でも孤立の非・論理はそうじゃなくて、だって孤立した人同士が群れるっておかしいじゃない、だからその定義上同じ人と群れるわけにいかなくて、ただ自分の孤立という行為によってのみその非・論理が示されるってわけ。これは孤独な戦いかな? 僕はこちらを支持したい」
いきなり魔理沙が「僕」と言ったので虚をつかれた。さっきまでは「私」だったのだが。僕っ子でもあったのか、と思ったちょうどその所で彼女があるマンションに入っていった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?