小説「身も蓋もないものども」②

魔理沙の住んでいる部屋は、「整然としたゴミ屋敷」とでも呼べるべき代物だった。所狭しと積み上げられた本やDVDは、少しでも動かしたら何かの天罰が降りそうなほどの独特の秩序を持って並んでいた。雑然にもルールがあるのだなとその時私は思った。
「TVは絶対に354の演歌チャンネルしかつけない」と言いながら彼女がTVをつけると、NHKだった。そこでは妙齢の女性が二人、いやらしさのかけらもないレオタードのような姿で体操をしていた。一人は立って、一人は椅子に腰掛けて。そこで驚くべきことが起きた。「あたしこっちやるわ」と言って、手近な椅子に腰掛けた彼女が体操を真似し始めた。「そしたら僕こっち」。自然と立っている方の動きを私が担当する。右手を上げて、左の耳につける。息を吐く。ふーっ。私の息より魔理沙の息の方が長い。腹式呼吸を心得ているのだろうか。右手を下ろし、今度は左手を右の耳につける。だいたい右の次は左とわかるはずなのに、魔理沙はTV画面を凝視しなければ次の動きがわからないような風情で真剣に体操を行った。こんなことが都合10分行われたあと、体操番組は終わった。「子供番組だったら最後「バイバーイッ」ってやるのにね」そう言って魔理沙はリモコンも見ずに354チャンネルに切り替え、そのままTVを消した。これは私たちがした最初の愛戯だったのだろうか。いや、それは考えすぎか。私は体操をしながらDVDの山を崩してしまわないか心配だったが、一番崩れそうなてっぺんにある『パルフ・フィクション』のあのうつ伏せのユマ・サーマンと何度目が合ったかわからない。『パルプ・フィクション』のポスターはよく見ると壁にもあって、しかしこれは日本版なのか、あのユマ・サーマンがうつ伏せになっているやつではなかった。左上に書かれた「時代にとどめをさす。」という宣伝文句の上に黒いマジックで線が引かれてあった。よほど気に入らなかったのだろう。迂闊に「タランティーノ好きなの?」とでも聞くとまた止まらない弁舌が始まってしまいそうなので、さりげなく飲み物が欲しいような素振りをした。しかし、飲み物が欲しいような素振りとは具体的に何なのか。実際のところその場で軽く一回転した程度のことだったように思われる。もうその時の私は、今日は「何か」など起こらないという確信めいた気持ちと少しの安堵があった。
「ありがとう」
突然魔理沙がそう言い、虚をつかれた。
「色々」
言葉を待ってみても、突然彼女は大人しくなってしまった。外ではガビチョウのうるさい声がする。全国どこにもガビチョウはいるものなんだな、とその時思った。と、その時、そのガビチョウが開け放たれた窓から突然部屋の中に入ってきた。そいつは私が先程来「ここはジャームッシュの山だ」と思っていたジャームッシュDVDコーナーに激突し、バタバタと部屋の中を飛び回った。魔理沙は落ち着いて窓を全開にし、たった今闖入者によって乱されたばかりの『ダウン・バイ・ロー』のパッケージを持って二、三度振り回し、冷静に彼を追い出すことに成功した。それから『ダウン・バイ・ロー』はめちゃくちゃな場所に戻された。雑然の中にも確固たる秩序がある、などというのは私の勝手な当て推量だったようだ。その後魔理沙とは映画や本の話をして盛り上がった。彼女の話はとにかくポンポン次から次へと飛ぶので舵取りが大変ではあったが、それがうまくいった時に喜びさえ感じるようになっていた。結局飲み物は一切出されぬまま、3時間ほど滞在して私は帰宅した。

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