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私がnoteを続ける理由

毎日noteなどというタグをつけておいて、間二日おいしまった私だ。やあやあ。おはよう皆の衆。とはいえ誰がこれを読んでるの?
何しろ肋骨が折れてるので、痛みをごまかすために昼寝したりわがまま三昧ねおきしていたらこのていたらく。しかしボルタレンなどクソの役にも立たないではないか。痛いものは痛い。タナボタで歯痛が治まったくらい。

頭の片隅ではnote何書こうと毎日思ってたのだけど、気づけば開いているpixiv。ツイキャス。ツイッター。UberEATS。それぞれのアプリがなんなのかいちいち説明はしない。リンクの貼り方もよく分からない。てかnote分からないので極力ベタ打ち。

三日坊主の三日も続きやしなかった。最初は人生初の骨折の記録を残そうと始めたけれど、若干そこで満足してしまった。かといって日々変わらぬ骨折の記録を残しても3行で終わるしな。

分からないまま今日は猫のことを書こうとしたのだが、せっかくなら記念日に書こうと考え直した。今年の12/3で我が家に来て丸6年になるからだ。おいそんなにいるのかお前。どおりで部屋が荒廃していくわけだよ。そんなこんなも、私がnoteを続けていたら年末書く。

私は精神を病むまで文を書くのが好きだった。小学校までは読書感想文がとくいで、地方の新聞に全文掲載されたことがある。中学生からは早くも底が見えてコンテストの常連からは脱落したけれど、大人になってからも気づけば文を書いていた。言っておくが金になったことは一度もない。

二次創作の小説からライブレポ、ブログでの赤裸々日記まで、とにかく毎日何かしら書いていた。それこそメンがヘラった当時もしばらくはブログを続けており、それもまた赤裸々に綴っていた。それ以前は彼氏と初めてイタして朝帰りした話や、父の髭剃りですね毛をそって出かけた話など、とにかくありのまま正直に書いていた。当時私は「心の露出狂」と名乗っていたのだが、全くもってその通りである。見てみて、わたしのありのままを。心の内を。

同じく本を読むのも好きだった。もはや過去形だが、知る人ぞ知るブクログというサービスを使い、読了した本にあれやこれや言っていた。かっこよくいえばレビューである。ただし私は難しい言葉でもっともらしく書くのが恥ずかしいのである。理由は簡単、バカが知れるから。

そうこうしているうちに誰も彼もがツイッターに飛びついた。新しもの好きだった私もだ。長年やっているがバズるような文章を書けたことはない。その頃の私は既に文を書く習慣をなくしていた。たった140文字もなかなか続かなかった。今やおはようbotに成り下がっている。10年続いたブログも放置し、知らぬ間にサービスが終了して恥さらしの私が消えた。大量のライブレポも同様。

それでもnoteを始めた。タイトルの答えになるけれど、文を書く楽しさを思い出したから。なんだこれ、楽しいじゃないか。
ただ再三言うが、何なのか分かっていない。調べるのも億劫である。また、フォロワーが増えたりいいねを稼げるようなテーマも持っていない。noteに至っては特にそれを望んでもない。自己満足の世界で完結。

始めるにあたり、私はゆるく決めていた。毎日何かしら書こうと。雑記でいいじゃないと。そして迎えたnote3日目、さっそく何も書かなかったので、これは心の内で撤回した。ちなみにもうひとつ決めていることがある。
長々書くことはしない。そんなわけで唐突ながら終わる。

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