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男と中華

 時々、無性に中華料理が食べたくなる。それも、四川。辛い奴だ。
 やや疲れ気味な時に、体が四川料理を求める気がする。炎の力と強烈な香辛料が元気をくれるのだ。ただし、とっても疲れている時は無理だ。体が四川のパワーを受けきれない。
 私は辛い物に目がないが、実はトウガラシアレルギーで、その上、胃腸が弱い。従って、四川料理を食べる時は色々と大変である。抗アレルギー薬と胃腸薬を持参しなければならない。さもないと翌日が悲惨である。下半身の柔らかい所に湿疹が出来る。下痢になる。胃腸薬を飲んでも、辛さによっては下痢は免れない。
 そんな時はトイレでうんうん唸りながら神に誓う。『神様、もう辛い物は食べません。だからこの腹を治してください』と言うわけだ。それでも辛い物への嗜好はやみがたく、誓いを忘れる。その繰り返しだ。

 店は四谷の『蜀郷香』がいい。難しい漢字だが、しゅうしゃんしゃんと読む。蜀は中国は三国志時代の国の名前で現在の四川省に当たる。郷香は古き良き伝統の香りという意味。ロマンチックな名前ではないか。
 ここの店主ー菊島氏は新橋の名店ー『趙楊』の出身である。『趙楊』の料理長ー趙楊氏は一万のレシピを持つという天才で、薔薇をモチーフにした料理が食べたいというある女性のリクエストに応え、見事な薔薇のコースを作ったという技の持主である。
 そんな趙楊氏の薫陶を受けた菊島氏もただ者ではない。辛いだけでなはく、香り高くきちんと旨い。下手な四川に行くと料理が全て同じような辛さになってしまうが、一品一品違う辛さ、香りになっている。時に薬膳を採り入れ、五臓六腑に染み渡る。この店に行くと次の日もまた食べたくなるという中毒性がある。
 中華に限らず、私は仕事を仕事にしない店が好きだ。
 かの禅僧ー良寛は嫌いな物のひとつに『料理屋の料理』を挙げていたが、下手な大店に行くと、まさに料理屋の料理が出て来てがっかりする。つまり、一から十までレシピやらルールがあって、流れ作業の料理が出て来るのだ。そうなると、料理にとって一番大事な物が失われていく。だから、これはどんな分野にも言える事だが、仕事を仕事にしてはいけない。

 中華料理と言えば、私は以前、あり得ない体験をした事がある。あちこち食べ歩いていると色々と珍事変事に出くわすが、これは中でもダントツである。
 その店に行ったのは初めてだった。なにかの雑誌でグルメ評論家が褒めていたので興味を持って予約を入れた。郊外の小さな店だった。予約の時間ぴったりに行ったのだが、店内は真っ暗である。日にちを間違えたのか、まさか突然潰れたわけじゃ……とおそるおそるドアを開けると、店内のテーブルや椅子が片隅に押しやられている。客は誰もいない。
 これは本当に潰れたのかもしれない、と思っていると奥の方でぼんやりと明かりが点いた。
 それと同時に私の目の前で五人の黒人たちがアカペラで歌い始めたのである。
 二メートル近い大男がいればでっぷり太ったオバさんや、お洒落な少女もいる。それは見事なハーモニーのゴスペルだった。歌いながらのダンスも見事だ。
 束の間、見とれたが、ハッと我に返った。私は別にゴスペルのライブに来たわけではない。中華を食べたに来たのだ。一体、これはどういうわけか。それともこれがこの店のサプライズ歓迎なのだろうか。
 混乱する私の前に店の女将がやって来て説明した。黒人たちはアメリカに旅行に行った際に知り合った家族だという。家族でゴスペルをしているという。『だから?』と私は心の中で叫んでいた。その家族が日本に来たついでに店に寄ってくれたので、せっかくだから歌ってもらっていると言う。
 だからそれがどうしたのだ、私は一週間前から予約を入れた客である。ゴスペルに興味はない。私は中華が食べたいだけだ。予約を入れたその日からずっと中華気分を保って来たのだ。
 だが、そんな思いを言葉に出来る雰囲気ではなかった。黒人の一家は私を見つめて、フレンドリーな笑みを浮かべながら歌い続けている。踊り続けている。約30分の間、私は観客になった。拍手をした。握手もした。複雑だった。
 そうしてライブが終わると、みんなでテーブルと椅子を元の位置に戻し、食事をした。
 味はどうだったかって? 覚えていない。

[初出:PLANETSメルマガ2018年4月26日配信「男と食 8」]

エッセイ集の刊行によせて、敏樹先生からメッセージをいただきました。

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