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男と薀蓄

 今年も花粉症がひどかった。私は多くの花粉のアレルギーだが、中でも杉花粉が一番ひどい。
 以前は医者に通っていたが、さほど効果がないのでやめてしまった。最近では市販の薬で誤魔化している。それも複数の抗アレルギー薬を一辺に飲む。薬剤師には止められるが、そうしないと効かないのだから仕方がない。
 薬にせよ、サプリメントにせよ、私は飲む事に躊躇いがない。これは母譲りである。母は自分で薬を飲む事も子供に飲ませる事もほとんど考えなしだった。なにしろ赤ん坊の私と電車に乗る際、泣かれるのが面倒なので睡眠薬を飲ませたというのだからひどいものだ。

 さて、先日、友人と食事をしていて、少々思うところがあった。
 この友人というのが、私から見ても食にうるさい、そして口の悪い奴なのだが、彼が人を評する時、『奴は味が分からない』というのが最大級の悪口になる。当然、『奴は味が分かる』と言えば最大級の褒め言葉だ。どうやら彼にとって、味の分かる分からないは舌の評価を越え、人間の本質に係わる重要な事らしい。
 気持ちは、分かる。私だって自分の馬鹿舌を棚に上げ、そういう面があるのであって、『味が分からない』→『感受性が鈍い』→『人の気持ちが分からない』→『犯罪者である』とわけの分からない判断を下す。
 しかし、当然、ここで疑問が生じる。味が分かるとは一体どういう事なのか? そんなに偉い事なのか? 
 一般的には味が分かる、とは舌の鋭敏さと同義である。私は実際に会った事はないが、昔は超人的な味覚の持ち主がいたらしい。グルメ漫画に登場する『絶対味覚』の持ち主である。たとえば天ぷらを食べる場合、エビの後に鱚を揚げるともういけない。油を通して鱚にエビの味が移るというのだ。こうなると揚げ手の方はネタを変える度に油を替えなければならなくなる。
 それから包丁の話。包丁を研ぐと、たとえ水で洗っても、刺し身などに砥石の味が移るという。この場合は包丁を紐で井戸の中に吊るし、砥石の香りを抜くのだそうだ。
 また、ある料理屋で燗酒を出したところ、酒が牛乳臭いと文句が出た。調べてみると、燗用の銅壺の中で、店の少年が少し前に瓶入りの牛乳を温めていた事が判明した。この場合、瓶越しに牛乳の味がお湯に移り、この後、徳利を通して牛乳の味が酒に移った事になる。こうなると最早分子レベルの話であり、それを感知したとなると人の能力を越えている。
 このような怪物的な客に対して料理人の方も努力を怠らなかった。たとえば昔の料理人は昼寝をしなかったそうだ。昼寝をすると舌が暖かくなり味付けが濃くなってしまうからだ。
 ここまで来れば、食べ手にせよ造り手にせよ、『味が分かる』ことの意味がある。両者の間で料理は限りなく進化する。繰り返し磨かれ、無駄が削ぎ落とされ、無に近づく。最早料理は必要ない。まさに禅の境地である。
 だが、普通、こうはいかない。我々馬鹿舌に出来る事はせいぜい差別する事ぐらいだ。『奴は味音痴だ』と言って差別をする。まことにもってつまらない。思うに、『味が分かる』と言うことは他者と比較する事ではなく、自分で納得すればいい事なのだ。私が林檎を齧る。ああ、うまい、と思う。しみじみする。明日からまた頑張ろうと思う。この時、私は林檎の味が分かっているのであって、そこで完結する。

 さて、差別と言えば、店も客を差別する。一番分かりやすいのは客にクイズを出す場合である。これはいけない。いくら料理がうまくても客を試そうとするような店は二流、三流である。この世から消去したい。なぜ、そこまで言うかというと、以前、とあるフレンチレストランで苦渋を舐めた事があるからだ。
 私は女性プロデューサーと一緒だった。前にも書いたがフレンチレストランでは連れの女性を他の客に見せびらかすような所がある。だがら、当然、その時一緒だった女性も美人、という事になる。その上私の作品のファンであり、食い道楽の私と食事を共にするのを楽しみにしていたという健気さである。
 私がワインを選び食事を始めた。その時、スープを運んで来たギャルソンがクイズを出した。
『このスープはなんのスープでしょう?』というわけだ。まるで私の邪な心を見透かした刺客である。
 だが、私とて昨日今日の食い道楽ではない。
『これは……もやしだな』
『正解です』
 美人プロデューサーは尊敬の目で私を見つめ、私はにやりとほくそ笑み、だが、ギャルソンは余計な一言を付け加えた。
『これは簡単でしたね』
 なんだと? 私はカチンと来た。せっかくいい雰囲気なのになぜブチ壊す?
 そこで私は反撃に出た。
『ゴマ油を垂らしても面白いかもしれないな』
『ゴマ油? ふふ……うちはフレンチですので』
 それがどうした、と私は心の中で叫んでいた。今や料理もグローバルでイノべーティブな時代である。フレンチにゴマ油を使ってなにが悪いのだ。
 次の料理はカルパッチョだった。薄くスライスした肉の上にドレッシングと黒トリュフをあしらってある。
『この牛肉はどこの部位でしょう』と再びギャルソンがクイズを出す。
 こ、これは……と冷や汗が出た。分からない。ひとくち食べてもも肉だと想ったが、そんな簡単なはずがない。
 私はナスのような顔のギャルソンを睨みつけた。全く面倒な野郎だ。
『サーロイン』と私は賭けに出た。最も遠いと思われる答えを言ってみたのだ。
『違います。スネ肉です』
 ナスがグニャリと歪んで笑顔になる。
 スネ肉だと? そんなもん分かるか。大体スネ肉は出汁に使うものだ。高額フレンチで客に出すようなものではない。美人プロデューサーも困惑気味である。普段から食道楽を掲げている私がまさか間違えるとは思わなかったに違いない。ああ、どうか慰めなど言わないでくれ。
 腹の虫が収まらない私は反撃に出た。クイズにはクイズだ。
『君、作家フィッツジェラルドの妻で小説『ワルツは私と』の作者は誰か知っているか?』
 咄嗟に私はそう言った。料理には全然関係ないが、この際そんな事はどうでもいい。クイズを出すなら得意分野だ。
『それは……分かりません』とナス男は曖昧に笑っている。
『ゾルダだ』とすかさず私はナスを斬った。『ゾルダ・フィッツジェラルド』
 復讐は果たされた。私は満足してワインを飲む。ところが、美人プロデューサーが口を出した。
『違います。ゾルダではなくゼルダです。ゼルダ・フィッツジェラルド』
 そ、そうだった。ゼルダだ。間違いない。ゾルダは私が以前書いた『仮面ライダー龍騎』におけるライダーの名前だ。
 私はなにも言わずにワインを干した。


[初出:PLANETSメルマガ2019年5月30日配信「男と食19」]


エッセイ集の刊行によせて、敏樹先生からメッセージをいただきました。

DSC_0112のコピー



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