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男と山椒魚

 先日、仕事場で埃に躓いて転んだ。
 意味が分からない、と思われるかもしれないが、文字通り埃に躓いて転んだのだ。
 私はあまり掃除をしない。部屋がきれいだと落ちつかないのだ。だから埃が成長する。ころころと珠のように丸くなる。そいつに躓いて転んだのだ。
 まあ、そんな事はどうでもよろしい。さて、今年もまた鮎の時期だ。私は鮎狂いなので六月になるとそわそわして来る。一刻も早く、一匹でも多く鮎を食いたい。出来れば日本中の鮎を胃袋に収めたいぐらいだ。

 子供の頃から私は鮎に縁があった。
 群馬県の山奥ー大滝村という所に親戚の家があって、夏休みになると遊びに行っていたのだが、村を流れる神流川で鮎が捕れたのである。
 母方の大叔父は農家であり猟師であり漁師でもあった。村一番の鮎捕り名人で、私が遊びに行くと投網を肩にかけじゃぶじゃぶと川に入っていく。
 大叔父は好きな形に投網を投げる事が出来た。たとえば岩と岩の間の溜まりを狙うなら、岩に網がかからないように三角形の形に投げる。それが、四角でも丸型でも自在であった。
 鮎が大量に捕れると、大叔父は腸で鍋を作ってくれた。何匹もの鮎の腸を抜き、包丁で叩いたのを出汁を張った鍋に溶かし込み、そこにこんがりと焼いた鮎を入れ、グツグツと煮込みながら食べるのである。これが、異様なくらい旨かった。
 美味しいものを食べると頬っぺたが落ちる、とよく言うが、あれは事実なのをご存じだろうか。何人もの人に聞いてみたが、そんな経験はないと言う。だが、本当の事なのだ。私は何度か経験がある。
 鮎の腸鍋の時もそうだった。頬の付け根のあたりがジンと痛くなる。くすぐったいような痛いような不思議な感じだ。そうなると、頬っぺたが落ちないように、押さえながら食べなければならない。

 さて、話は変わって、大叔父の家は山の麓にあり私が遊びに行くと、いつも山登りに連れて行ってくれた。鬱蒼たる山道を歩きながら、ここで白い着物を来た幽霊とすれ違っただの、あそこで熊と格闘しただの、嘘だか本当だか分からない、だが、多分嘘であろう話をしてくれる。
 私が初めて山椒魚と接したのも、この山登りの最中だった。ちょろちょろと細く流れる清流に出ると、大叔父はさっと水の中からなにかを掬って口に入れた。なにをしたのか尋ねると、山椒魚を飲んだのだと言う。
 見ると、清流の中を、小指ぐらいの山椒魚がうようよしている。大叔父に勧められ、私もおそるおそるその山椒魚を掌で掬い、川の水と一緒に嚥下した。やってみればなんという事はない。暴れる山椒魚が胃に穴を開けるような事もなく、静かに消化されていくようだった。ただし、飲むのは一日一匹にしろと大叔父は言う。それ以上になると栄養が強過ぎて体に悪い、と。
 私は山椒魚を飲んだ事が自慢で仕方がなかった。何やら男としてとてつもない偉業を達成したような気分である。
 夏休みが終わると、私はさっそく学校で自慢をした。おれは山椒魚を飲んだ男の中の男である、と。
 ところが誰も信用してくれない。実際にやって見せろ、と言う。 
 だが、山椒魚など、そうそう手に入るものではない。そこで友人のひとりが提案した。山椒魚の代わりにドジョウでやればよかろう、と。ドジョウを飲めば山椒魚を飲んだと認めよう、と。今はあまり見かけなくなったが、当時は町の魚屋でドジョウを売っていたのだ。
 さっそく学校帰りに魚屋に行くと案の定、店先のポリバケツの中でドジョウがうようよと泳いでいる。私たちがそれを買い求めると、『なにに使うのか』と店のオヤジが聞いて来た。
 小学生たちがドジョウを料理するはずもない。頭の良い友人が『理科の実験で使うんです』と適当な事を言うと、店のオヤジはそれなら、とビニール袋いっぱいのドジョウをタダでくれた。ありがたい話だ。
 みんなで人けのない場所まで行くと、私はさっそくビニール袋からなるべく小さなドジョウを選んで水と一緒に飲み込んだ。英雄が承認された瞬間である。すると、友人たちは我も我もと次々とドジョウを飲み始め、全員が成功した。英雄はあっと言う間に平民に落ちたわけだ。
 だが、この出来事が思わぬ方向に飛躍するのだから面白い。
 当時、日曜日の朝のバラエティー番組に『奇人変人』という視聴者参加型のコーナーがあった。普通の者には出来ない特技をもった一般人が番組でその技を披露する、というもので出演すると白いギターが貰える。この番組にドジョウを飲んだ友人のひとりが出る事になった。『ぼくは山椒魚が飲めます』という内容で応募し採用されたのだ。ドジョウが飲めたのだから山椒魚だっていける、と判断したのだろう。番組的にもドジョウより山椒魚の方がインパクトがある。
 さて、放送当日になり、番組が進んで、いよいよ『奇人変人』のコーナーになった。友人が得意気な顔で登場し、司会者が『この子はなんと山椒魚が飲めるんです』と紹介した。
 ところが、である。出て来た山椒魚がでかかった。あまりにも巨大。ゆうに一メートルは越えようというものが水槽の中でのた打っている。
 さっと友人の顔色が変わった。司会者と観客たちが固唾を飲んで成り行きを見守っている。
 もう、どうしようもない。友人はやるべき事をやった。巨大山椒魚をむんずと抱き上げ、頭からガシガシと齧り始めたのである。
 私はあの時の友人の必死の形相を死ぬまで忘れないだろう。白いギターを貰えたのがせめもの救いであった。

[初出:PLANETSメルマガ2018年6月28日配信「男と食 9」]

エッセイ集の刊行によせて、敏樹先生からメッセージをいただきました。

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