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男と星屑

 先日、十円玉が立った。部屋で落とした十円が床に跳ね返って立ったのである。
 これは、茶柱が立つより稀な現象ではあるまいか。きっと縁起がいいに違いない。

 さて、今年の夏も友人たちと京都に行った。
 京都は盆地なので、以前は東京よりずっと暑かったが、最近では様子が変わった。東京より涼しいくらいだ。これも異常気象のせいだろうか。
 今夏の京都で印象に残ったのは鱧料理が少なかった事だ。夏の京都と言えば鮎と並んで鱧、いや、鮎以上に鱧であり、どの店に行っても必ずと言っていいほど鱧が出る。それも、椀種にするか、湯引きにするか、大体どこも同じ料理。そしてまずい。お碗のひとつぐらいなら、『うむ、夏だな、京都だな』と新鮮に食えるがすぐに飽きる。
 それが、今回の京都では、二泊で四軒の割烹を回って一度だけ、鱧の湯引きだけであった。これは一体どういうわけか。たまたまいい鱧が入らなかったのか。料理人たちが鱧に倦んだのか。客たちが実はそれほど鱧を喜ばない事に気づいたのか。それはないだろ、と思われるかもしれないが、実際、私の友人たちにも鱧好きは皆無である。
 ただ、鱧にも魅力がないわけではない。料理人がどんっと鱧の身をまな板に広げ、専用の包丁でシャッシャッと骨を切っていく様子はなかなかのパフォーマンスだ。
 そう言えば、これは東京の料理人だが、鱧の骨切りを見直すために、鱧をCTスキャンにかけた者がいた。骨の形状を見るためである。その甲斐あってか、その料理人は新しい骨切りの技術を開発した。
 彼によれば、シャッシャッと音がする骨切りは昭和のやり方であるという。彼が開発した平成のやり方は音がしない——無音だという。私的には音がした方がカッコいいと思うが、まあ、どっちにせよ、客はパフォーマンスに引きずられて鱧を食べているのではないか。
 ただ、料理人たちの努力によって以前よりは大分マシになったのも事実である。たとえば昔はパサパサの鱧の湯引きを梅肉で食べたがこれが梅の味ばかり立ってひどくまずい。それを改良型では鱧をレアに落とし、梅肉の代わりにトマトのジュレやポン酢を添え、随分と涼やかになった。もっといいのは薄造りだが、これは骨を全部抜く作業がとても面倒なのであまりお目にかかれない。

 さて、今でこそ偉そうに京都の食について書いている私だが、若い頃は右も左も分からなかった。修学旅行を除けば、自称京都通のプロデューサーに誘われて先輩ライターと私、三人で行ったのが最初の京都旅行だった。私が二十代前半の頃である。
 間の悪い事に、この時、私は尿管結石を患っていた。
 ある日、横腹が痛くなってトイレに行くと血尿が出た。それも見事なワインレッドである。
 びっくりして病院に行くと尿管結石だという。レントゲンを見ると、確かに下腹に白い点——結石が映っている。その石が尿管を傷つけるために血尿が出るわけだ。それにしても尿管結石の痛みは半端ない。きりきりと差し込むようで、私は風呂場で仕事をした。湯に漬かっていると尿管が緩み痛みがやわらぐのだ。そうして浴槽の蓋板を机にして原稿を書いた。
 さて、病院で何種類かの薬を貰った私は、それとは別にビールと縄跳びを推奨された。ビールは小便の力で結石を押し出すため、縄跳びは結石を下げるためだ、と言う。なるほど、分かりやすい。馬鹿馬鹿しい程に。
 だが、結石はしぶとかった。普段は飲まないビールを飲み一生懸命縄跳びをしても一向に出てくる気配がない。そうこうしているうちに旅行の日となり、私は結石を抱えたまま京都に向かった。プロデューサーも先輩も心配してくれたが、薬のおかげで幸い痛みは消えていた。
 当時は新幹線に食堂車があって、私たちは京都に着くまでの間、ずっとビールを飲んでいた。
 この旅行で何を食べたかと言うと実はあまり覚えていない。竹林の中の店で湯豆腐を食べた事ぐらいだ。
 記憶に残っているのはなんと言っても芸者遊びをした事だ。プロデューサーの手配でお茶屋に上がり、舞妓さんを呼んだのである。
 この手の遊びを私はこれ以後した事がない。今の私は食べる事に一生懸命なので、気持ち的にも金銭的にも余裕がない。だが、この時は楽しかった。仕出屋の料理は大した事なかったが、美しく着飾った舞妓さんも芸妓さんも二十歳そこそこの私にとっては眩しいばかりだ。芸妓さんが三味線を引き、舞妓さんが踊り、野球拳もどきのゲームもした。
 やがて私はトイレに立った。ビールばかり飲んでいるのでトイレが近い。
 一階に降りて小便をすると出たのである。結石が。尿道を何かが通っていく感覚があり、陶器のアサガオが微かに鳴った。見ると米粒ぐらいの石がつややかに光って落ちている。
 他の者の結石を見た事はないが、私のは美しかった。まるで真珠である。若いとはいいものだ。窓の外は朧月。私は結石を拾い上げ、よく洗って宴に戻った。そして『さて、これはなんでしょう』と結石を見せてクイズを出した。芸妓さんも舞妓さんも興味津々で石を見つめる。なにかの骨の一部ではないか、いや、珊瑚ではないかと、みんな喧々囂々である。
 すると、先輩の顔色がサッと変わった。先輩は察したのだ。それが今の今まで私の尿管に納まっていたものである事を。そして先輩は『これは星屑である』と宣言した。
 私は先輩の非難を痛いほど感じた。お前は何を考えているのだ、このような雅な宴にこんな小汚い物を持ち込むとは、馬鹿めーというわけだ。もっともである。私は結石が出たうれしさについ調子に乗ってしまったのだ。若いって怖い。
 先輩は星屑について説明した。それは隕石の燃え残りである、と。隕石は大気圏に突入して燃え上がる。その最後の一滴が星屑である、と。
『まあ、ロマンチック。これ、頂いてもよろしおすか?』と舞妓さんのひとりが私に尋ねた。私が黙って頷くと、舞妓さんは結石を紙で包み、大事そうに懐に入れた。

[初出:PLANETSメルマガ2018年9月28日配信「男と食12」]

エッセイ集の刊行によせて、敏樹先生からメッセージをいただきました。

DSC_0112のコピー


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