はないちもんめ

unkowns展2015(東京造形大《作品》×慶應西洋近現代美術ゼミ《批評》)

展覧会の出展作品は以下から見られます。http://igallery.sakura.ne.jp/aiga603/aiga603.html


例えばうとうと眠って夢を見ているとき。目覚めて振り返ってみると、自分の意識がどこかへ流れ出て行ったような、あるいは外から何かが流れ込んできたような感覚を覚えることがある。例えば昔の記憶を遡るとき。自分の実体験としての記憶の背後に、もっと大きな総体的な記憶の影を感じることがある。

彌益の描く絵には、個人の意識と無意識的な総体的なるものの交錯が一貫してあらわれている。作品の多くのモチーフは彼女の昔の写真や実体験から切り取られ、それらは顔、表情のない匿名の人物に置き換えられて描かれる。絵が語る物語は、彼女の記憶の中に存在するものであると同時に、広く人間が共有している集合的記憶の中にもまた存在するものなのだろう。それ故彼女の絵を見ると、漠然とした過去の記憶や感情が立ち現れて、胸が痛む。

画面中央に水溜りのような穴があり、緑、紫と色を迷いながら勢いよく塗られている絵がある。この作品の主題は「花一匁」。子どもたちが頭を寄せ合い、引き抜く子を相談している場面だ。子どもたちの多くは、花一匁を純粋に楽しんでいるが、中には「私は取り返してもらえるのかな」、「私は一度も欲しがられないのかな」と不安な気持ちを抱えて参加している子どももいるのかもしれない。大人になった今振り返ってみると、花一匁の残酷さに気がつく。自分が誰かに必要とされる存在であるのかを巡って渦巻く不安、孤独感、優越感。あの子は最近嫌いだから取り返してあげない、という悪意。権力のある子をすぐに取り返さなければ、という服従心。そんな感情が、暗いどろどろしたものとして足元奥深くからにじみ出て、地面を通じて水溜りとなって表出している。世界がひっくり返ることはなくても、意識下においてそれが直接すぐに影響を及ぼすことはなくても、足元には常に暗いものが存在し、無意識下で人間を取り巻いている。

絵が語る物語と記憶。それらが共鳴するのを感じ取ってほしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?