混線

朝、起きたけど。

頭痛と吐き気が酷くて、横になったまま痛み止めを服用するかどうか少し考えてたらまたいつの間にか眠っていた。

変な夢を見た。

たくさんの人がやってくる。
どれだけの人が来てるのかまではわからない、私は知らない「自分の部屋」にいて、スマホが震えていても、玄関ドアを叩く音がしても、外から呼びかける声があっても反応できずにいた。

どうでも良い。どうでも良い。

スマホに着信履歴が溜まっていくのをぼんやりと認識しつつも、裏面に伏せたままなので同じ人が何度もかけてきているのか、複数人いるのかも知りたくはなかった。
来訪者は友人知人ではないことも知っていた。

あの人達は仕事で、私がこんなだからわざわざ来ている。
もしかしたら電話に出ないからかもしれない。
応じるべきなのだろう、電話にも訪問にも。

でも全く動く気にはなれなかった。

だんだんと玄関ドアに設置されている新聞受けに何か書類のような物を残して、帰っていく人の気配に変わっていった。
きっと一階のエントランスにある郵便受けにもたくさん郵送物が来てるんだろうなと。

電話は震える。
ドアは叩かれる。
名前を呼ばれる、書類が溜まる。

私は相変わらずぼんやりしながら、「何がどうなったら満足なんだろう」と考えていた。

どう、なっても、別に良いかな。
何でも良いかな、なんでも、どうでも。

どうでも良いと考えながら無気力に全てを拒絶している自分が滑稽だった。
いつまでそうしてるつもりなんだと自問自答しても、「どうでも良い」という思考が邪魔をして頭が回らない。

どうでも良くないから、こんな無責任に考えて、いつまでもそんな状態でいられないのに、そうしてんじゃないかい?

そう思った時に目が覚めて、吐き気は治ったものの頭痛は相変わらず、全身は一応はベッドで寝てたはずなのにギシギシと痛かった。

とりあえずお水、と、起き上がってからふと玄関が気になって、嫌な夢を見たなぁと思いながらも、「あれは...」と思い出す。

あれは、何もかもを放棄したらああなります、という自分自身の末路だ。
いやツッコミどころは多々ある、何もかもをとするのならまずあんな風に座っている事すら出来ないだろう。
スマホだって充電切れを起こして、そもそもあの部屋は見覚えがなさすぎて何処にいたの?と水を飲みながらスマホを確認した。

LINEのメッセージの中に、「今からそっちに行きます」という母のメッセージがあった。
そこに続いて音声通話の着歴がいくつか...なんだ、昨日会っただろ、メッセージに既読が付かない場合は寝てる可能性が高いから応じれないと何度言ったらわかってくれるんだ。

ホンの数分前の着信に折り返しても、母はいつも「出ねぇ」となるとカバンの中にスマホを仕舞ってしまうので応答しなくなる。
着信があった事に気付いて、取る前に切れてしまった場合でも、すぐに折り返してもそうなる。
リアルタイムで取りなさいよ、って事なのだろうか、私が掛けてあげてるんだからって?

着信があったということはうちのインターホンがぶっ壊れてるからマンションの下にまで来たのだろう。
明日は通院だと告げていたから、今日、よりにもよって今日に来たんだろう。
昨日ではダメだったのか、嫌な予感しかしないんだけど。

新聞受けを確認したら、夢では書類でいっぱいだったのに妙に厚みのある無地の封筒が一通。
中からは、毎年それを貰ってもリアクションに困るんですよな、バースデーカード。

「今年はちょっとでも良い年になりますように」

ちょっとでも、とはどういう事なんだ、せめて昨日コンビニ行った時にしろよ。
心にゆとりがない時には、大体母のする事の「理由」に関しては「きっとこうだったんだろうなぁ」と前向きに考える事が出来ない。

というか「ちょっとでも」って本当にどういう事なんだ。
それじゃ普段が「悪い」みたいじゃないか、アンタ普段の私の「何」を知ってるんだ。

また着信があった、何度掛けても繋がらないから、新聞受けに入れたと、もう見たけど知らないふりをした。

四十二年前、母の人生初の出産は最悪だったと伯母から聞いた。

母の両親である祖父母が、祖母の弟の嫁が産気づいたからとそちらに向かってしまい、父も、母の姉である伯母も、当時は「ゲリラ豪雨」など無かったのに、その日に限って、大雨、強風、雷がどっしゃんどっしゃんと稲光がはっきり見えるぐらいの悪天候の中、なんとか病院にたどり着いた時にはもうお産が始まっていて。

私が生まれた時には間に合ったらしいけど、「外野は無責任に待ってるだけ」となんか拗ねてたらしい...まぁ、祖父母の行動でそうなってしまったんだろう。
私とほぼ同じタイミングで生まれた母の従妹に対してやたらと当たりが強いのは、なんかそういう事なのだと。
いや、それはその日に生まれた従妹叔母の所為でもないし、アウトなのは、祖父母だと思うのですが、まぁね、私とその子も、やたら母方の親戚の中では、比較されてたから気分が良いものではないね。

大叔父の奥さんがしっかりした人だったから上手い事流してたようなんだけども。

家庭環境も家族構成も住んでる地域も、得意分野も何もかも違う子供を、生年月日が同じってだけで比較するのは、おかしいけど、まぁおかしな人たちだからね。
特に、母の感情論はまだギリギリわかるんだけど、祖母に関しては本当に何がしたいのかよくわからんかったから。

身内の中で一番ダメだとレッテルを貼った末の弟の娘と。
自分の娘のダメな方とレッテルを貼った、更にその娘と。

何を基準に比較して、でも、孫の方は私が育てたから(違います)、やっぱり孫の方が優秀だって謎のマウントを取りに、私をその家族に所に連れて行って、私を含めてみんな嫌な気分になるという、訳のわからんことを、仕出かしてる、祖母の娘もとてもよく似た性格をしてるけど、あたしゃそっちの三代目は、辞退します。

母も母で、祖母と性格が瓜二つだからと折り合いが悪く、冷静な伯母は丸投げされる立ち位置で、祖父母が伯母を「優秀な方の娘」として全力で頼ってたので、「姉という生き物はこうあるべき」的な、なんか思うことがあったらしいけれど、それ私関係なくない?

私関係なくない?って私が生まれた時に決定的な亀裂が走ったから、言って良いのかもわからないしそもそも母にその自覚がない。

毎年毎年何かしらの形で当日にやってくるバースデーカードは、どうすれば良いのかと困るのでとりあえずは保管しているものの、それを取り出してほんわかするような内容は毎年記されてはいない。
「電気代は節約してください」っていう年もあったが、私はその、暑さを「忍耐」で乗り切ろうとするのは、病状的に無理だから夏に関してはもう、快適さに特化してないものの、幾分かは掛かってしまう事はこれはしょうがないと後日説明した記憶あるな。
大阪なので寒さに関しては、ノー暖房も難しいけど、比較的まだあったかいので、もう雪とかもレアだから。

本当に「ちょっとでも良い年」って何なんだと考えても多分答えは出ないだろう。

お母さんはちゃんと覚えてますよ!嵐であろうと当日に拘りますよ!っていうアピールなのかしら。
もう一応のところ、どうあっても鬱々としてしまうターンは今日までと決めてたのに。
だからもうそれまでは、いくら吐き出すにしても、根暗な記事しか書けねって、わかってるから大人しくしてたつもりではあるのですが、もう限界だ。

わからん、もうこの一言に全てが集約されてしまう。

おかんの気持ちがわからんし、何がしたいのかもわからん。
もしかして?と好意的に受け取ろうにも難しい文言な上に、毎年毎年律儀に、というのがおかんだけというのも、なんか悲しい。
完全に忘れてくれてたら、と思うには、私の生まれた日の話がしんどいし、普段が「私には何しても良いサンドバッグか何かと勘違いしてんじゃねぇか」な言動が散見されるので、というか実際に「私の娘なんだから私がどうしようが私の勝手でしょ」的な事を吠えてたのも目撃しちゃってるから、もう、なんだろ、嘘は吐かないけど、本心で全くそんな事考えてません、的なことは言えちゃうという謎の属性持ちなんで、訳のわからん、ツンデレな、お試し行動的な発言と捉えてるけどもさ。

あの人多分私のこと「嫌いだ」と認めたら負けなんだと思う。
そんであの人私のこと「大事だ」と認めても負けなんだろう。

ちょっと、オカルトの話になるけど、私は割と小さい頃に「全ての感情がなくなっちゃった能面の王な表情」ってのを、知ってた。
なんでオカルトかっていうと、ややこしいのですが、私の最初の記憶は別であるけど、はっきり状況とか覚えてる古い記憶は、三歳ぐらいの時に見た、「四歳で死んだ記憶」だから。
アリンコが四歳の誕生日の朝に「あれ?私小さいぞ?四歳になったのに?」と混乱した...あの、子供なんで四歳になるとちょっとでっかくなると思ってたんですよ。

うちの母は車運転できねぇので、というかアタイの小さい時には、運転する女性って身近にいなかったので、特にそう思うのですが。

あの、四歳の女の子が、推定母親の運転する車の助手席で、「あれ?お母さんの様子がおかしいぞ」と何度も呼んでる内に、事故っちゃったっぽいんですよ。
まぁそれ事故なんでしょうかね、それが直近の自分の生まれる前の話とも言い切れないんですが。
一応事故として処理されてる、チャイルドシート的な物も無かった時代に、その事故現場ね、あの、父が昔会社やってたとこの近くにある。

だからそれが自分の記憶なのか「何か」を受信したのかは不明ですが、その時の運転席にいた「母親」の表情がね、完全なる「無」だったのを、未だに覚えてます、容姿も覚えてる、アリンコのお母さんではない。

事故自体は私が生まれる一年ほど前の話なんで、だから真偽がわからんのやけども、ある建物に猛スピード車が突っ込んだんだ、あのよくある、よくあってもあかんのやけど、運転操作間違えて突入しちゃった、的な。
多分間違えてないと思うけどね、あれだけの「無」だったから意識がどっか吹っ飛んでたのかとも考えられるけど、だとすると子供を助手席に乗せて、シートベルト閉めるかい?

痛みとか恐怖はなかったね、すごいエンジン音と、バリバリって轟音と、暗転。

ま、そんな感じで、私は一度死んだんだわと長年思ってたけど、「その子供と年齢が近かったから受信したのかしら」とも最近思うようになって、真相はわかりませんが。
ただまぁ、幼稚園とピアノだけの生活の時に、父方の祖父母に何度か高野山に連れて行ってもらった事は覚えてます。
そこでまた、珍妙な物を見てますが、それはちょっとセンシティブな問題なのと、あの、祖母にも普通に見えてたんで、「高野山はそういう景色が見れるとこ」と認識してましたが、祖父には見えてなかったよ、あの、お祖父さんは、お祖母さんの血を引いてる子供なら、何見てもおかしくねぇだろ的な、否定しない人だったんで「実は見えてない」ということを知ったのも随分後ですが。

あれに似てますね、あの、FF10の、ユウナちゃんのムービーの初見で、「これ高野山やん」と、思った、ユウナちゃんがいたわけではないのですが。
まぁそういう部分も、ありましたよ!的な、雑な感じで。

高野山といえば、戦国無双の「真田丸」で、ガチの終盤の「高野山から脱出せよ」っていう場面で、あれ戦わずに抜け出した事がバレるとまずいステージで、ひたすら隠れ続けるっていう内容だったのでそこで躓いて、大阪の陣まで実はやってないんですけども。
ただほら、無双は私は関ヶ原で心折れるので、「これ最後まではできねぇだろうな」と思って買ったんで、全くその先にどんなドラマがあったのか、知らんのですよ。

まだあの、無双で「西の勝ちシナリオ」があった時はちゃんと最後までやってたんですけども。
江戸城攻めは歴史に無いので、あれが結構印象に残ってますね。
政宗さんが到着するとややこしい、めんどくさい事になるの、あとあの、ステージ内ミッション次第で政宗さんとかは変わるのですが、「左近はもう寝てなさい!」って自分で出しといて、なるっていう...今度無双の話書こうかな。

そうそう、無双の島左近はかっこいいんですよ、アリンコの、「ゲームに登場するかっこいいおっさんランキング」の三位をずっとキープしてる人です。
首位にならない理由は、毎回オロチシリーズになると、主君と逸れちゃってるんで、あの、オロチ3で「あれ?うちの殿メタモルフォーゼしちゃったぜ?」的な、あのリアクションで、ちょっとふわっと二位に上昇した時期もありましたが、オロチで殿が面白い事になるのと遠呂智がゲシュタルト崩壊するのはもう鉄板なんで、ちょっと首位にはなれなかったですね。

というかオロチといえば私K OFの人なんで、そっちが先に出てくる。
クリスが出るまではアテナ使ってたんですけど、そのクリスが出たやつで多分辞めてる。

あのゲーセンで割り込んでくる人って、勝てるって自信あるから入ってくるんですけど、アタイあの、対人で画面端に追い込んで来て↓小キック連打する人嫌いなんで、あの、コンピュータ相手の時は技練習してるだけなんで、そのキック連打が来た時点で、ガチになるので、ゲーセンでキレる人に何度かキレられて、それ以降はアミューズメント系に寄ってるゲーセンで、ずっとガンシューティングしてましたね。何の話だ。

プレイ経験のある人が今いるのかわかりませんが、あの、アテナとクリスで察してください。
サムライスピリッツはずっとナコルルです。

なんでゲーセンで練習してんだよって、あの、中学の同級生にすんごい格ゲーマーがいて、そいつに勝ちたかったんですよ。
最後まで勝てなかったんですけど、あの子はちょっとおかしいし、ゲーム会社からの公募でのキャラデザで、「自分で考えたキャラがランダムで画面内の背景を自転車で通過してる」って時点で、こいつガチ中のガチだって、諦めました。
何だったか、あの「いつも彼氏の方がホットコーラー飲んでる」って設定の、高校生カップル。
あの、著作権でお金貰ったぜって、それで筐買ってたんで、「あ、この人ガチの中のガチだ」って。

自宅にスロットの筐持ってる人はいても、格ゲーの筐持ってる人はそんないないと思う。
それまではすごいマニアックな、ゲーセンと同じプログラムなんだぜ、的な、ゲーム機持ってた人なんで、ゲーセンで練習して、そいつの家で戦うっていう、時代がありました。
勝ったこと無いですね、あの、サムライスピリッツで、「一閃」っていう一撃必殺の技があるんですけど、アレを奇跡的にその子よりも先に入力出来た時に、やっと勝てる。奇跡的に。
でもあの、ゲーセンの対人で流石に「一閃」は相手の人もつまんねぇだろうと思って、キック連打されたらもう、布キャンセル、アンヌムツべキャンセル、一閃です。
最近のはどうなのか知らんけども、昔はキャンセル使えてなんぼでしたんで。

えっと何の話だったかな。

スマブラとかは全然わからんので、あの従弟と何回かやったんですけど、私はあの、セルフで落下してる人です、落差が酷いですが、ゲーセンで遊んでた時も「格ゲーわからない」って、あのとにかくぐるぐる回してボタン連打してくる人の対処法が一番難儀でしたよ、何のコマンドが発動するのか、出してくる人もわかってない。
ミラクルにミラクルが重なってバーン投げられたりするんで、迂闊に近づいたら危ないから、あのコマンド入力が簡単になってきた辺りはインターバルもあるんでわからない。

64だったかな、マリオカートで二人乗りするゲームは、後ろに末の従妹乗せてひたすら煽らせてましたね、あの、ゲーマー的に、チーム分けで妹やイトコとバランス取ると、そういう組み合わせになるか、私と、ゲームあんまり知らなーいっていう妹とが組むと、トップのチームが最終ラウンドに入った途端に姉ちゃんが運転変わって、順位ハンデでアイテム使って爆速で追い上げてくる現象で、その内マリオカートもやらせて貰えなくなってしまいまして。
お姉ちゃんと組んでる子は楽しいんですけど、それ以外の子達が「姉ちゃんマジでムカつく」ってなるので。

ああでもそうな、こうやって書き出すと楽しい時期もあったんだから、もう冒頭の鬱っぽいのは今日でやめにしましょう。
書いてしまうと「すんごい性格」になりますが、私は人をおちょくる時に輝く人だったわ、思い出した。
そうそう、在りし日の格ゲーと同じく、末の従妹は「打倒姉ちゃん」でぷよぷよメチャクチャ強くなりましたから。
最近はちびっ子達がゲームするようになったんで、たまに「大人もやっつけたいんだ」的な要因で我々が呼ばれるとね、一切手加減しないので、最終的にずっと従妹と一騎討ち状態になるんですよ。

この従妹のやっつけ方は、他が脱落して一騎打ち状態になった時に、彼女の息子にちゃんとレクチャーしておきましたよ。
「お前の母ちゃんバカだから、必ず8連鎖ぐらい組もうとするやろ?だから、母ちゃんと二人になったら、三連鎖ぐらいでチマチマ妨害してたら自滅するで。あいつアホやから」って。
子供の前で親の悪口言うなって思ってた子供ですが、そういう大人になりましたね。
マリオカートは今はね、子供相手だと加減しますよ。
一番ちびっ子のユーちゃんが電源入ってないコントローラー持ってる時だけ、「これはユーちゃんがやってるのよ」って、コーナー曲がったところにバナナの皮仕掛けるっっていう初歩的な嫌がらせはしてますが。
末の従妹がしっかりリアクションしてくれるんで、子供達が喜んでくれるんですけど。

子供達はゲームじゃなくて大人のコントが楽しいんで、私も楽しい。

ちょっとスッキリしました。
もうね、あの、バースデーカードでへこませて来る人とはもうしばらく関わらない。
初っ端から嫌な思いをしたんなら、もうそんな四十も過ぎた娘の事なんて放っておけばいいのにね、それが出来ないだね。

私がもうしてあげる方なのにね、申し訳ないけども、多分何も返せねぇや。
お母さんが何を考えてるのか、理解したかった時もあるけど、血が繋がってても違う人間だからね、わからないの。
きっとお母さんも私が何考えてるのか、わからないんだと思う。

ただ。

世界で自分は今一人ぼっちなんだって、そういう感傷をかなりの荒技でぶち抜いてくれるから、私にはちょうど良いのかもしれない。
いつか本当に動けなくなる前に、誕生日が嫌いなんだよと思うより「産んでくれてありがとう」と心から思える日が来たら良いなと思う。

生まれてきて良かったなと思える事があったら、「あの嵐の日は一人やなかった、アンタおったから」と背中向けてボソッと言ってた母の顔が、どんな顔だったのか、想像できるかもしれない。

いつか見た別の「お母さん」の、無表情では無いはずだ、きっと。
私が生まれてきたのだから、きっと違うはずだ。

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