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サイドシートひとつぶんの新宿 上演台本

登場人物
丹羽(にわ)奈々子(ななこ) ・・・キャバクラ嬢
高橋(たかはし) 誠(まこと)  ・・・送迎車の運転手


S0

薄暗い明かり。
舞台手前にはフロントバンパーとライト。

後ろにはハンドル、二席のシート。
そして後部座席が置かれている。椎名林檎の曲がかかっている。

S1

車体全体が四角いエリア明かりで照らされて、うっすらと車体の外観が浮かび上がる。エンジンがかかる音がして、車体の後ろにビルの映像が見えてくる。映像は後ろに小さくなっていき、車が走りだしたように感じる。

○タイトル「サイドシートひとつぶんの新宿」

映像が消える。車体全体を照らすエリアあかりが消えて、サイドシートを照らすスポット明かりだけが残る。エプロン姿の丹羽奈々子がスポットにはいっていく。

奈々子「昔流行った音楽を聴いたときとか、」

エプロンからシャボン玉セットを取り出して吹く奈々子。

奈々子「団地のベランダで、息子と遊んでるときとか、」

シートに座る奈々子。

奈々子「青信号を待つときとか、ラジオで音楽を聴いている時とかそんなときに、たまに、思い出すというか、頭をよぎることがある。」

後ろを振り向いて、うずくまる姿勢になり、シートのにおいをかぐ奈々子。

奈々子「煙草臭いこのサイドシートのこと。」

運転席を見る奈々子。

奈々子「隣で運転をしてたひとのこと。昔過ごしたちょっとした時間のこと。」

運転席に向かって、シャボン玉を吹く奈々子。

奈々子「普段は忘れてるようでいて、覚えているいろいろなことが。よぎる。」

音楽が大音量になっていく。
明かりが暗くなっていく。真っ暗になる。

S2

黒いカーテンが閉まっている。
○2001年・新宿・歌舞伎町という文字のクレジットが出る。
四角いエリア明かりがついて、車の輪郭がはっきりしてくる。
口紅を塗りなおしている奈々子(18)、車のハンドルを片手で握りながら、くわえていた煙草をもみ消す高橋誠(28)の姿が見える。
コンパクトを閉じる、奈々子。窓の外を見つめる。

菜々子「母親がね、住んでるらしいの。この街に。」
高橋 「はあ。」
菜々子「この街で見かけたって人がいたの。」
高橋 「それ。詳しく聞いた方が、いいですか。」
奈々子「別に。ただ思い出しただけ。」
高橋 「探してたり、するんですか?」
菜々子「まさか。あの人は、もう会うことないの。でも、思い出しちゃった。この街に住んでるらしいって言ってたなって。」
高橋 「煙草、大丈夫?」
菜々子「ぜんぜん大丈夫。お店じゃ、みんな吸ってるし。」
高橋 「じゃ、もう一本吸わせてもらいますね。吸ってないと眠くなるから。」
菜々子「歯医者が見えたら、右折してコンビニ寄ってもらってもいいかな?」
高橋 「もちろん。」

高橋は煙草を吸う。

高橋 「十六、七ってとこじゃない。ほんとは。いや、未成年がお店で働いてると、まずいと思ったから、さ。」
菜々子「いま、何時。」
高橋 「四時ちょっとすぎ。」
菜々子「今日誕生日なの。だからもう十八。お店には秘密にしといて、三か月前に十八になったことになってるから。」
高橋 「未成年じゃないならいいんだ。」
菜々子「なんでわかったの。」
高橋 「送迎三年もやってりゃ。女の歳は、みればわかるよ。」
菜々子「手の甲とか、首もととか。」
高橋 「そういうのもあるけど。例えば、さっき降りた娘と話してる時、彼女も同い年なのに、ちょっと敬語交じりで、それは君が入ったばかりだからかもしれないけど、違和感あったからさ。」
菜々子「探偵みたい。」
高橋 「クラブの送迎車って、案外暇なんだよね。君たちが支度終えるまで、待ってるでしょ。待ってる間、やることなくて。深夜で、暗いから、本も読めない。だから、人間観察を趣味にしたんです。」
菜々子「運転手さん。名前なんていうの。」
高橋 「高橋誠。君は?」
菜々子「奈々子。」
高橋 「本名は意外と地味だね。」
菜々子「三ヶ月も経ってるのに、お互い名前も知らなかったって。変だね。」
高橋 「僕は、今日みたいに話してる方が違和感がある。ほんとはあんまり話しちゃいけないルールなんです。でもま、女の子は、女の子同士で話すし。一人になっても携帯とかいじくってるじゃないですか。いつもは。だからそんな機会ないんですけどね。」
菜々子「そう。」
高橋 「あそこのコンビニでもいいかな。」
菜々子「どこでも。いや、やっぱりローソンがいいかな。」
高橋 「ケーキでも買うんですか。」
菜々子「いちおう。形だけね。」
高橋 「プレゼントしましょうか。はじめて話した記念に。なんちゃって。」
菜々子「それほんと。」
高橋 「コンビニケーキくらいで、アレだけど。」
菜々子「そんなことない。誰かに誕生日ケーキ買ってもらうなんてはじめて。あたしね、ほら母親にも父親にも捨てられてるからね。父親は家庭内暴力。いまだにコーラが嫌いなの。昔父親がね、コーラの入ったグラスを壁に投げつけて、コーラがシミになって。破片が飛んでね。みて、このふともものところ。ケガしてるでしょ。その時の傷。あたしが中学の時に、父親はアル中で死んだ。母親もひどいもん。父親が死んだ次の日から、男をとっかえひっかえ。ま、死ぬ前からだらしない女だったんだけど。挙句に近所の若い男と付き合って。いまはたぶん、その男にも捨てられて、東京の場末のバーか、それかもっと、なんかいかがわしい仕事してんの」
高橋 「それは、なんていうか――」
菜々子「嘘、嘘。嘘。おおげさに言ったの、いまひいたでしょ。」

奈々子は高橋の手を取り、ふとももの傷に触れさせる。

菜々子「この傷はね。ホントはさ、付き合ってた男に刺されて出来たんだ。」
高橋 「それも、嘘だったりします。」
菜々子「でも両親がいないも同然なのは本当。だから絶対お店には言わないで、あたし一人で生きていかなくちゃいけないの。この街で。」
高橋 「トランクにね、鉢植えがあるんです。それもあげますよ。」
奈々子「いらない。鉢なんて、すぐ枯らしちゃうから。」
高橋 「でも。一人暮らしなら植物おすすめですよ。なんか自分がいないと生きていられないものを側に置くと、人は安らぎを覚えるんですって。あとは犬飼うとか。」
奈々子「あたし、犬も嫌い。可愛がられてるのが当然って顔してるから。」
高橋 「ひまわりです。僕、植物育てるの趣味で。たぶんだけど、君にきっと似合うと思います。」

車のバックする音が聞こえる。車内を照らしていた明かりが消えて、ブルーのあかりになる。奈々子は退場する。高橋は奈々子の退場を見送り、ハンドルから手を離し、上を仰ぐ。


M1♪「ハッピバースティトゥーユー」
高橋「タンタタンタタンタン。
タンタタンタンタンタン。
タンタータタンタン。
タタンタンタンタンタン」

後奏が流れる。後奏が流れると奈々子が着替えを持って登場する。
奈々子は服を着替えながら、

奈々子「タンタンタンタン
タンタンタンタンタン」

高橋は一瞬、奈々子の気配を感じ振り向く。
奈々子も顔を上げて、二人の視線が合う。

二人「タンタンターンタンタンターン。タンタンタンタンタン。」

後奏が流れ、曲調の違う音楽が続いて流れる。
奈々子を照らすスポットがつく。

M2♪「さみしくない」
奈々子「ひとりぼっちのバースディ
    さみしくないの きょうは
    きょうははじめて ないた日なのに
    さみしくないの きょうは
    ハッピバースディトゥーミー」

明かりが絞られていき、真っ暗になる。

S3

音楽の後奏に合わせて、暗幕に文字クレジットが浮かび上がる。
○「2002年・新宿・歌舞伎町前」
車体を照らすエリア明かりがつく。

奈々子「助手席に座ってもいい。」
高橋 「どうぞ。荷物が多くて、そこしか空いてませんから。すごいですね、売れっ子は。」
奈々子「誠くんはないの。プレゼント。」
高橋 「僕、お金ないですから。」
奈々子「お金じゃないの。去年嬉しかったな、誕生日ケーキ。」
高橋 「いまは、コンビニのケーキなんて食べないでしょ。」
奈々子「食べるよ。誠くんの買ってくれたのなら。」
高橋 「誠くんって呼ぶのやめてもらえます。僕の方が年上なんだから。」
奈々子「でも、今はあたしが雇い主。」
高橋 「違います。お店です。」
奈々子「でも、専属の運転手でしょ。」
高橋 「君の売り上げが一番のうちはね。」
奈々子「生意気。」
高橋 「どっちが。」

高橋は車のエンジンをかける。

奈々子「ねぇ、誠くん。試しにあたしと付き合ってみない?」
高橋 「突然だな。」
奈々子「だって寂しいから。」
高橋 「君ならよりどりみどりでしょ。」
奈々子「知らないの。一人でいるより、大勢の誰かといる時の方が寂しいって。」
高橋 「じゃ、きっと、僕といても寂しいですね。」
奈々子「でもこの車の中にいるときは、ずいぶんとマシなの。」
高橋 「知ってる?助手席って一番危険だって。」
奈々子「恋人をのせると運転手が見とれちゃうからでしょ。」
高橋 「正面衝突するときにね、運転手はとっさに自分を庇うようにしてハンドルをきるでしょ、そうすると助手席側が正面からきた車に近くなる。だから偉い人は運転席の真後ろに座るんだって。だから僕、恋人は助手席には絶対に乗せない主義。」
奈々子「降ろして。」
高橋 「無理、動き出しちゃったから。」
奈々子「誠くんってさ、いじわるだよね。」
高橋 「目が覚めた。意地悪なおじさんなんて恋人にするには最悪だよ。」
奈々子「新宿ってもっと素敵だと思ってた。」
高橋 「僕もです。東京って夢が叶う街だと思ってた。」
奈々子「キラキラしてて、綺麗なものもたくさんあるけどさ、なんだろうな。ウィンドウショッピングみたいな。手を伸ばすと、いつも届かないの。あたしの欲しいものはいつもガラスの向こう側って感じ。」
高橋 「他人のフェイスブックみてる時みたいな感じかな。あれって、みんなたいてい明るいこと書いてるからさ、読んでると、自分だけが幸せに見放されてるみたいに思えるときない?」
奈々子「暗いね、あたしたち。似てる。」
高橋 「みんなそんなもんでしょ。」
奈々子「誠くんはさ、なんで東京にいるの。」

高橋はブレーキを踏む。

高橋 「だから、誠くんって呼ぶのやめてよ。」
奈々子「なんで?」
高橋 「君さ、どうしたの。」
奈々子「なにが。」
高橋 「今日、すごく距離近いよ。」
奈々子「だってさ、出会って一年でしょ。」
高橋 「でも僕達、この帰りの時間だけだよ。新宿から所沢まで、一時間ちょっと。」
奈々子「でも一年間だから三百六十五時間。」
高橋 「毎日は出勤してないでしょ。」
奈々子「それでも三百時間くらいは一緒にいるね。絶対。」
高橋 「二十四で割るとさ、十日と、二日と少しじゃん。」
奈々子「でもロミオとジュリエットは出会ってから四日で心中してるからね。」
高橋 「驚いた。本読むようになったんだ。」
奈々子「銀座のママはね、新聞三紙くらい読んでるだって。あたしだって、本くらい読まなきゃ。」

信号が黄色から、赤に変わる。

高橋 「あっ。」
奈々子「いっちゃえばよかったのに。」
高橋 「黄色はとまれ。」
奈々子「あたしなら行くね。誠くんのそういう慎重なとこよくないと思うよ。」
高橋 「でも、捕まるのは僕だから。」

奈々子と高橋は視線があう。
奈々子は高橋にキスしようとするが、拒まれる。

奈々子「臆病もの。」
高橋 「そう僕はさ、臆病なんだよ。三十になる前にはって思って東京に出てきたのに、いまだになんにもできてない。時々、眠れなくなる。不安で。」
奈々子「人がいっぱいいるじゃない。東京って。あたしもね、ぎゅうぎゅうの電車に乗ってるときとか、ちょっとでも立ち止まったら、ひとにぶつかりそうになる交差点とか歩いてるとさ、叫びだしたくなる時あるよ。」
高橋 「僕さ、音楽やってんだ。」
奈々子「じゃ、ミュージシャンなんだ。誠くんは。」
高橋 「食えてないけど。」
奈々子「稼げてなきゃ、ミュージシャンじゃないの?」
高橋 「バンドも解散しちゃったけど。」
奈々子「誰かと一緒じゃなきゃ、出来ないの?」
高橋 「ピアノ。埃かぶってるけど。」
奈々子「これから弾けばいいじゃん。これ以上、うるさいこというと、ほんとに一回、その口ふさぐよ。」
高橋 「酔っぱらってる?」
奈々子「――あたしさ、誠くんのこと好きだよ。」
高橋 「好きじゃなくて、それは淋しいだけだよ。」
奈々子「そうかも。でも、それでもいいじゃん。ダメかな。」

高橋、奈々子の髪に触れる。
明かりが絞られていき、運転席とサイドシートだけ照らす。

M2♪アスファルト・ジャングル
高橋「星も見えない街だから
   うつむきうつむき歩いてく」
奈々子「独りぼっちのひとだかり
   かきわけかきわけあるいてく」
二人「アスファルトジャングル
   アスファルトジャングル」

くらくなっていく。
暗転。後方からクラクションを鳴らされる。
クラクションの音が大きくなる。
黒いカーテンが開いている。
映像○2003年・新宿の文字クレジット。

S4

ブルーの明かりになり、高橋と奈々子は位置を交換する。
丹羽奈々子が運転をしている。

高橋 「こんなとこ見られたら、怒られるな。」
奈々子「なんで?」
高橋 「いや、キャストに運転させてたらさ。仕事サボってるみたいじゃんか。」
奈々子「いまさらなに、キャストに手出したら首だってきいたよ。ばれなきゃいいの、ばれなきゃね。」
高橋 「あのさ。」
奈々子「なに。」
高橋 「プレゼントがあるからさ、機嫌なおしてくんない。」
奈々子「機嫌悪くないよ。久々の運転で、緊張してるの。」
高橋 「だから運転するって言ってるのに、君が今日はどうしてもっていうから。代わるよ。」
奈々子「いいの、今日はあたし運転するって決めてきたから。」
高橋 「でもハンドル、握りしめすぎだし。」
奈々子「プレゼントって、また鉢植えじゃないよね。」
高橋 「違うよ。だってまた枯らしたなんて、予想してなかったし。」
奈々子「わざと枯らしてるの、あんたのとこのベランダ狭いからね。で、なにプレゼントって。」

高橋はポケットに手を入れて、指輪の箱を出す。

高橋 「安物だけど。」
奈々子「なにそれ、」
高橋 「指輪。」

高橋は箱を開ける。小さなダイヤモンドが光る。

奈々子「鉢植えの方がよかった。」
高橋 「そんな言い方ないだろ。安物って言ったけど、それは君にとってで。僕には結構な買い物だったんだからさ。気に入らなくても、気に入ったふりしろよ。」
奈々子「あたし、嘘つくの下手なの。あんたと違うから。」
高橋 「なにが気に入らないんだよ。」
奈々子「あんたがお金持ってること。」
高橋 「なんだよそれ。」
奈々子「なんで指輪なんて買えるの?」
高橋 「そりゃ僕だって働いてるし、」
奈々子「生活費は女が出してくれるし。」

奈々子は片手で高橋から指輪の箱を奪い、力いっぱい放り投げる。
指輪の箱は狭い車内をバウンドし、きらきらと輝く指輪が床に転がる。

奈々子「音楽で食べていきたいって言ってるくせに一日もピアノに向かってなくてもさ、髪の毛薄くなってきて、起きた後の枕が臭くてもさ、あたしよりずっと大人のくせにずっと子どもで、いつもお金がなくてこいつ夢を食って生きてるんじゃないかっていう男でもさ。いいのよ。あたしは。でもあんたが、あたし以外の女と笑いあってるのは許せない。」
高橋 「一度、車止めて話そう。運転中にする話じゃない。」
奈々子「あたしは大丈夫。だから何か言うべきことがあるなら、言ったら。」

高橋煙草をくわえ、火をつけようとするがライターがうまく着火しない。

奈々子「言ってよ。」

高橋やっと煙草に火をつける。

高橋 「昔、世話になった女でさ。いまは、」
奈々子「ソープで働いてるんでしょ。知ってるよ、なんで言い訳しないの。嘘つかないの。」
高橋 「じゃ言い出すなよ。全部気がついてたくせに。」
奈々子「でも言い訳してほしかった。だって、あたし悪くないでしょ。なんにも。」
高橋 「いや、悪いのは僕だけど。」
奈々子「そうだよね。あなたはさ、そういうの諦めちゃう男だよね。でも、それはあたしへの思いやりなんだろうか。もうわかんないや。」

奈々子は車のアクセルを踏み込む。

高橋 「車止めて、話そう」
奈々子「さっき高速入ったの知ってるでしょ。パーキングまでだいぶあるし無理。」
高橋 「じゃ、せめてスピード落とせよ、」
奈々子「高速はさ、遅い方が危険なの。」
高橋 「制限速度越えといて、安全もなにもないだろ!」
奈々子「あたしはさ。二人でなら別に死んでもいいと思ってるよ。あんたは違うの」
高橋 「違うよ!」

車の速度計が上昇する。
○不穏な効果音が高まっていく。

高橋 「僕は、事故にあっても死ぬのは僕だけだったらいいなって思ってるよ。僕はさ、もう先が見えてるけど。君は二十歳になったばかりじゃんか。人生これからじゃん。もったいないなって思うよ」
奈々子「そういうとこ嫌い。自分だってまだ人生半分以上あるくせに、妙に悟ったこといっちゃってさ」
高橋 「ごめん。ごめんだから。」
奈々子「いいよ。だって、いまあんたの人生半分以上もらおうとしてるんだから。あたしだって十分悪人だよ」
高橋 「それ、なしにはさ、」
奈々子「できないよ。決めてきちゃったからね。誠くん、あたしほんとにあんたのこと好きだったのよ」

あたりが暗くなっていく。
映像○「速度計のアップ。速度が上昇する。」
高橋と奈々子がそれを見る。

奈々子が高橋に手を伸ばし、高橋はその手をぎゅっと握る。
暗転。黒いカーテンが閉まる。
映像○「2004年・新宿」

S5

高橋誠(31)の腕時計は、高橋がハンドルをきるたびにゆれる。
丹羽奈々子(21)は指輪をした右手で、高橋の時計に触れる。

奈々子「あたし腕時計って嫌いなの。」
高橋 「ああ、だってズボンのベルトしないときあるよね。あれ、縛られる感覚が嫌なの?」
奈々子「それもあるけど、タグみたいじゃない、腕時計って。ビジネスマンがさ、唯一つけられる装飾品だからか、それみたら男の値段がわかるっていうか。そういうのが嫌。」
高橋 「それいったら、女の指輪だってそうじゃん。」
奈々子「指輪っていえばさ、」
高橋 「うん。」
奈々子「なんでもない。あたしさ、お店やめて、政治家にでもなろうかな。」
高橋 「いいんじゃない。」
奈々子「生返事。」
高橋 「ちょっと身構えちゃったから。君が、去年の話をするのかと思って。」
奈々子「なんで言うかな。せっかく途中でやめたのに。」
高橋 「指輪の行方が気になってさ。」
奈々子「売った。それでその日はお店休んで、イタリア料理屋でラザニア食べた。深夜に。」
高橋 「どうりで探しても見つからなかったから。」
奈々子「じゃ、あたしも聞くけどさ。いまはどうしてるの。」
高橋 「一人で暮らしてるよ。」
奈々子「だと思った。いつからか、小汚い男になったから。」

高橋は自分の袖のにおいをかぐ。

高橋 「もう若くないからな。」
奈々子「二十歳をすぎるとさ、急にくるっていうけどほんとだね。」
高橋 「ほんとに怖いのは三十からだよ。」
奈々子「先のことなんて想像できないな。」
高橋 「いいじゃん政治家になれば。」
奈々子「三十男の言葉とは思えない軽さ。」
高橋 「傷つくな。」
奈々子「年を取るって傷つくことだからね。」
高橋 「でも、そんなに悪いもんでもないね。三十一も。」
奈々子「あたしはどうだろうな。肌がさ、違うのよ、昔と。しわが出来るのが怖いよ。昔は整形なんて考えたことなかったけど、いまはあるの。」
高橋 「そのしわがいいんじゃない。」
奈々子「男は勝手。十代の時はさ、昼前に起きることなんてなかったよ。お昼に営業なんてしなくても、大丈夫だったのにね。いまはだめ。若い女がこの町にはうじゃうじゃいるからね。」
高橋 「大丈夫だよ。」
奈々子「正直ね、時々は後悔することもあるよ。去年ブレーキ踏むんじゃなかったなって。そしたらさ、ドラマチックな人生だったじゃない。こうやって毎日、朝起きて、毎日同じことの繰り返しで。働いて、食事して、寝て、起きて、働いて。時々なんのために生きてるのかわからなくなることはなかったじゃない。」
高橋 「なに言ってんだよ、若いくせに。君にはまだ可能性があるよ。それこそ政治家になったって僕は驚かない。」
奈々子「政治家なんて嫌。あたしはただ幸せになりたいの。」
高橋 「なれるよ。」
奈々子「でもあたしこの頃、帰りたいって言うのが口癖なの。自分の家でも言っちゃうんだから。」
高橋 「明るいこと口癖にした方がいいらしいよ。」
奈々子「わかってるよ。でも言っちゃうの。どこに帰るんだっていうんだろうね。」
高橋 「だけど、僕は聞いたことないけど。」
奈々子「ここではさ、あなたと話してるからね。」
高橋 「多少まぎれるのかな。」
奈々子「だいぶね。」
高橋 「あのさ、」
奈々子「うん。」
高橋 「……リコピンがいいらしいよ。」
奈々子「リコピン。」
高橋 「トマトのなんかそういう成分。美肌効果があるって聞いた。」
奈々子「リコピン。」
高橋 「ベランダでさ、育ててるのがあるからやるよ。」
奈々子「でも、もうあんたの家にはいかないことにしたの。」
高橋 「そういう意味じゃないって。」
奈々子「あたしにはそう聞こえたけど。」
高橋 「なんならここに持ってきたっていいんだ。」
奈々子「それならもらう。無農薬とかって身体によさそうだし。」
高橋 「けっこううまいよ。」
奈々子「あたし、決めたの。あんたのことだんだん嫌いになろうって。だからもうこの車以外では会わないから。」
高橋 「わかった。なら、俺もそのつもりでいる。」
奈々子「じゃ、今日はここで降ろして。」

ブルーの明かりになる。高橋が退場して、奈々子がサイドシートに座る。
音楽が掛かる(Still Love You1分5秒間)
奈々子にスポットが当たり、ポケットから指輪を取り出す。
奈々子は指輪を放り投げようとするが、出来ない。

一瞬指輪を眺める奈々子。
指輪はきらきらと輝き、奈々子は、指輪をポケットに戻す。

M3♪Still miss You
奈々子「5グラムほどのリング なぜこんな重い
眩い輝きは かすんだまま いまは石ころ」
コーラス「Still miss You」
奈々子「あわい思い出さえも」
コーラス「think about you」
奈々子「捨ててしまいたい
ただ、そうすべてを」

暗転。
○映像「2005年・新宿」

S6

車のハンドルを片手で握りながら、くわえていた煙草をもみ消す高橋誠(32)。バックミラーに目をやる。中古のステップワゴンのシートに座わりながら、口紅を塗りなおしている丹羽奈々子(22)。高橋は車の窓を閉める。外からの明かりも音も遮断され、車内に流行のポップスが流れる。

奈々子「この車もさ、最近見なくなったね。」
高橋 「もうかなり前に買った車だからな、古いんだよ。」
奈々子「広くて、寝るのにもちょうどいいのに。」
高橋 「だいたい車がさ、もう流行りじゃないんだよ。都会に住んでたら、電車が一番。」
奈々子「でも車はさもう一つの部屋だからね。自分のもの置いておけるし、電車じゃこうはいかないでしょ。」
高橋 「それはね。こいつがなくなったら寂しいかな?」
奈々子「そりゃ、もう五年だからね。それなりに愛着はあるよ。」
高橋 「いや、でもそろそろ買い換えすすめられてるんだよね。」

奈々子はベルトをはずし、運転席に腕を回す。

奈々子「車の華も短いね。」
高橋 「ベルトしとけよ。」
奈々子「縛られるのが嫌なの。」
高橋 「知ってるけど。」
奈々子「相談があるんだけどさ。」
高橋 「うん。」
奈々子「あたし、お店やめようかな。」
高橋 「どっかに移るってこと。」
奈々子「そうじゃなくて、」
高橋 「別の仕事につくってこと。」
奈々子「そう。どう思う。」
高橋 「どうして。」
奈々子「だってドラえもんの声も変わっちゃったじゃない。ひとはいつまでも若くいられないからね、辞め時ってもんがあるの。」
高橋 「まだ二十二のくせに。」
奈々子「もう女同士張り合うのは疲れた。それにあとね、お客さんに、告白されたの。」
高橋 「嘘。」
奈々子「これはホント。奥さんが亡くなったひとでね、小さな子どもがいるんだけど、いいひとなの。」
高橋 「縛られるのは、嫌っていってたじゃん。」
奈々子「家族を持つのは、縛られるってことじゃないでしょ。」
高橋 「会えなくなるんだな。それじゃ、」
奈々子「うん。」
高橋 「いきなり母親になるってどんなことかわかってんの?」
奈々子「大丈夫、まだ子どもも小さいし、それにあたし。いつも家族が欲しかったから。」
高橋 「いい男なのか。」
奈々子「うーん。いいひと。」
高橋 「年は。」
奈々子「あなたと同じ。あたしファザコンなのかな。あんなに父親が嫌いだったのに。」
高橋 「店、辞めるとしたらいつ。」
奈々子「今日にでも言おうと思う。」
高橋 「ほかにだれか相談した?」
奈々子「してない。」
高橋 「そっか。」

高橋は煙草をくわえ、火をつけようとする。
奈々子がすかさずライターを差し出す。
高橋と奈々子の目が合う。

奈々子「どう思う。」
高橋 「だってそれは。僕が口を出すことじゃないよ。」
奈々子「あなたの意見が聞きたいの。どうしても。」

高橋は煙草をふかす。

高橋 「淋しくなるな。」
奈々子「それだけ?」
高橋 「ほかに僕が言えることがある?」
奈々子「そっか。それがあんたか。煙草あたしにも吸ってみたい。」
高橋 「だって吸えないでしょ。」
奈々子「吸ってみたいの。」

奈々子は高橋の煙草を取り上げる。

高橋「あのさ。」
奈々子「なに?」
高橋「……。」
奈々子「……。」
高橋「やっぱなんでもない」
奈々子「そっか……それが答えか。」

奈々子は煙草をくわえると、高橋の煙草からもらい火をする。
後ろでクラクションが鳴る。慌てて車を発進させる高橋。
奈々子は煙を吸い込むが、むせてしまう。笑い合う二人。

ブルーのライトになる。奈々子の座るサイドシートにスポットが当たる。
BGM・アスファルトジャングル(1分29秒)

S7

奈々子「2005年、新宿。あれ以来、ずっと、ずっと彼には会っていません。」

高橋は立ち上がり、退場する。
奈々子はエプロンをつける。
シャボン玉をつくる奈々子。

奈々子「あれ以来、たばこを吸うことはありません。高橋、誠。あんたはいま、幸せですか。私はそれなりに幸せです。でも、時々胸が痛むことがあります。あんたのせいです。きっともう2度と、あんたに会うことはないでしょう。きっと。でももし、会ったら……なんて思ってたら聞き覚えのある声が聞こえてきて、忘れてたはずで忘れてなかった、色々なことをふと思い出したんです。」

○映像・20××年・どこか
シャボン玉マシーンが動き出す。
黒いカーテンを開けて向日葵の花束を持つ高橋が登場して、隣に座る。
カーテンはそのまま開ききる。
   
S8
   
奈々子「危なかったね。あと少しで通報されるところだったよ。公園に不審者がいるって。」
高橋 「迷ってたんだ。」
奈々子「なにを。」
高橋 「どれが君かわからなくて。」
奈々子「所帯くさくなってたでしょ?」
高橋 「いや、綺麗になったよ。」
奈々子「嘘ばっかり。」
高橋 「幸せそうだな。」
奈々子「それなり。でももう帰りたいとはこぼさなくなった。」

公園から子どもが戯れる声が聞こえる。

奈々子「それで、どうしてここにいるの?」
高橋 「引っ越しの知らせくれただろう。お祝いに。」
奈々子「新宿に戻ってきたんだけど、ぜんぜんそんな気がしないの。あなたは知らないでしょ、新宿にも普通の住宅街があるって。」
高橋 「それ本気で言ってる?」
奈々子「あたしは知らなかった。新宿って言われて思い出すのは、歌舞伎町でも、都庁でもなくて、いつもこのサイドシートのこと。あたしの新宿はこのサイドシートひとつに収まるの。」
高橋 「このままさ、何もかも置いて、二人で車でどこか遠くにいかない。」
奈々子「もう淋しいのはごめんよ。それよりさ、聞いたよ、あなたの曲。」
高橋 「インディーズだけどね」
奈々子「いいのよ。それでも、この街じゃさ、一歩歩くのも大変なんだから。」
高橋 「たしかに。」
奈々子「あの、さ。」
高橋 「うん?」
奈々子「やっぱなんでもない。」
高橋 「言えよ。」
奈々子「言っても意味ないもん。」
高橋 「言えよ。」
奈々子「あの時、最後にさ。なんて言おうとしたの。」
高橋 「それか。」
奈々子「うん。」
高橋 「ロミオとジュリエットはさ、出会って四日で、恋をして、愛を誓って、心中したのに。情けないことにさ僕は、無理なんだよね。たぶんずっと言いたい事は言えないんだ。」
奈々子「言ってくれてたんだよね。あなたはたくさん伝えてくれてた。それでもダメだったわけで。でも一回くらい、あなたからさ好きって言ってもらいたかったなとか思って。きいちゃった。」
高橋 「ごめん。」
奈々子「それ不正解のやつだ。でも、まいいや。」

高橋は花束を渡す。

高橋 「今日、誕生日だから。育ててたやつ、ちょんぎってきた。」


愛おしそうにひまわりに顔を近づける、奈々子。

高橋 「俺、植物育てるの好きだっていったことあるじゃん。ひまわりがさ、一番好きなの。枯れるとさ、いっぱい種つけるから。枯れてダメになってもさ、ぎっしりつまってるから。好きなの。」

黄色い明かりになる。
目をつむり、ひまわりのにおいをかぐ奈々子。

奈々子「新宿のにおいだ。」

奈々子は鉢植えを抱きしめる。

奈々子「今度こそ、ひまわり、枯らさないから。」

奈々子退場。音楽がかかる。空っぽのサイドシートが照らされる。   

シャボン玉マシーンが止まる。ブルーの明かりになる。
サイドシートに座る、高橋。

M4♪アスファルト・ジャングル

高橋「星も見えない 街だから
うつむき うつむき 歩いてく
ひとりぼっちの ひとだかり
かきわけ かきわけ 歩いてく

アスファルトジャングル
アスファルトジャングル

グレーの世界で 独りぼっちで
グレーの世界で 僕は見つける
アスファルト つき破り
背筋伸ばして 咲いたひまわり

アスファルトジャングル
アスファルトジャングル

グレーの世界に 幸せイエロー
グレーの世界に 色がついたぞ
暗くなければ 怖くはないぞ
ずんずん進め ずんずん進め

アスファルトジャングル
アスファルトジャングル

黄色い灯(あかり) 目指してけ
ずんずん進め ずんずん進め
顔あげて
僕も慌てて しゃんとして
ずんずん前へ ずんずん前へ
駆けてゆく

アスファルトジャングル
アスファルトジャングル
アスファルトジャングル
アスファルトジャングル」 

高橋 「好きだった。いまでも時々、君のこと思い出すくらいに。」

暗転。高橋退場し、空っぽのシートだけ照らされる。
映像○冒頭のビルが小さくなっていき、車が走っているように感じるもの。
映像○Fin.

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