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なぜマレーシアなのか。

わたしが伝えたいマレーシアには、多数の“扉”があると考えている。
 
・大航海時代という歴史の扉
・アラブ商人やインド商人の影響というヒトの動きの扉
・多民族共生、多様性尊重の社会の扉
・インドをルーツとするカレーの扉
・中国ルーツの華人料理の扉
・スパイスやハーブを活用した香りの扉
・外食と家庭料理の共存の扉
・東南アジアという共同体の扉
・イスラムの扉
・英語が共通言語という世界の扉

マレーシアを追いかけているのは、これらの扉を開けて、向こう側の景色を見て、ときに、向こう側におじゃましてその世界を体感することができるから。言葉を変えるなら、マレーシアをとおして、スパイスや大航海時代やイスラムの世界とじぶんとの橋をかけている感覚がある。
 
しかし、です。これらの扉。あけるのは簡単だけど、橋をどのような手順でかけるか、具体的にいうなら、どのような言葉で語れば、マレーシアのおもしろさをわかってもらえるか、はかなり難しい。なぜなら、ちゃんと伝えるためには、さまざまな前提知識の共有が必要になるから。

簡単な言葉で語るほうが相手の心にはささる。でも簡単に伝えてしまうと大切なことが漏れてしまう。かといって、長々と説明するのも理解しにくい。基本はおさえつつ、伝えたいことはひとつにしぼって、それを具体的な例で説明する、といった感じがいいのかな。

……なんて、10年以上もマレーシアのことを発信していて今ごろこんなことことに気づくって遅いよわたし、と反省の本日。

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クアラルンプール、ブリック・フィールズにて。ヒンドゥー教のお祭り、ディパバリ前のバーゲンの様子。


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